1人暮らしを始めて5年目になる。
よく1人暮らしを始めたら実家の有難みが分かると聞くが、私の場合、実家で暮らす大変さがよく分かった。

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1人暮らしのなんと自由な事か。好きな料理が出来て、好きな手順で掃除が出来て、好きな事を好きな時間にやれる。誰の目も気にすることなく!
料理はいい年して全然やったことがなく、1人暮らしを始めてからするようになった。と言うのも、左利き厨房に入るべからずとでも言うように、母は私をキッチンに立たせなかった。彼女から見たら、左手で包丁を扱う私が怖くて仕方なかったらしい。なので料理という料理はしたことがなかった。
そんな私も今じゃ毎日自身のお弁当を作り、余り物でチャチャッと食事を仕上げられてしまう。祖母や母は凝った料理はしないけれど、美味しい家庭料理を作ってくれていたから、味の基準は自分の中にあった。それはとても感謝している。

1人暮らしでしんどい代表の掃除や洗濯を苦痛に思ったことも無い。実家では掃除や洗濯はこうするという母のルールがあり、干し方があった。潔癖の気がある母に対して、私はある程度寛大だった。
あの毎日鳴る掃除機の音が、私には苦痛で仕方なかった。会話も音楽も何もかも消し去るようなモーター音は好きになれない。1人暮らしの今は最終手段でしか掃除機は使わない。その代わり、床掃除は修行僧の様に膝をついて拭く。その方が私には断然良い。

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いつも母の顔色を窺って生きてきたから、自室にいる時は常に母の動向を探る様に物音がすれば聞き耳を立てていた。1人暮らししてからその必要が無くなり、その時に初めて私は物音がすれば緊張していたのだと自覚した。
ただ、長年そう生きてきたものが5年やそこらで変わるハズも無く――。母の予定が分からない日や連絡を2日でもとってなかったら、急に不安になって母の機嫌を伺いたくなってしまう。怒ってない?大丈夫?って。
特に私は母に何も告げず自分が楽しく過ごした1日とかがあると、母の機嫌を伺いたくて仕方なくなる。私だけが楽しんでお母さんをほっといたから嫌な思いしているかもしれない、本気でそう思うのだ。

実際、それで拗れに拗れた事が幾度となくある。成人してからも子供の時も何度も経験している。全く親離れ子離れが出来にくい関係性ではあるが、1人暮らしして少しずつ私たちの関係も一個人として確立されてきた気はしている。後は各々の人間的成長のみである。私はこうして自覚するごとに手放して自由になっている。

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1人暮らしは最高だ。それは間違いないけれど、この頃こうも思う。
人が成長するためには必ず人が必要。ダイヤはダイヤでしか磨かれないように、人は人でしか磨かれない。誰かと生活するという事は実はとっても成長できる、いろんな経験を出来るってことじゃないかな、と。
子供の時は自動的に家族で住むことになっていたけれど、今は一緒に住む人を私が求め、出会える。全く興味が無かったパートナー、恋人という人。来年はそういった縁も大切にしていけたらいいなと寒空を見上げながら考える。
もしかしたら人肌恋しいだけで、夏には真逆のこと思ってそうだけど。ま、それも人の心は移ろいゆくという事で……。