母は料理が上手だった、と気づいたのは、一人暮らしを始めてからだった。
一人暮らしを始めて一番最初に作ったのはロールキャベツ。といっても中身は豚バラで、巻くというよりは重ねる感じでコンソメで煮ただけのスープになってしまったが。
味は及第点、初めて作ったにしてはうまく(美味く)できた。
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しかし、それ以降はさっぱりだった。
豆腐ハンバーグは豆腐の量が多すぎで形成できないほど柔らかくなってしまったし、お吸い物を作る際には出汁が濃くなりすぎて塩辛くなった。ついには玉子焼きが焦げた。
誰かに振る舞うものでもないので不満は自分の中で消化すればいいのだが、実家で毎日食べていた料理とは程遠い料理にげんなりしてしまう。
それでも出勤する際には節約のために必ずお弁当を作って持って行った。社内で新人があからさまにタッパーに詰められたものを食べていると、「手作り?」と注目を浴びる。下手な出来を見せるのは躊躇したが、覗き込まれると大抵こう言われるのだ。
「え、めっちゃ上手じゃん。もしかして料理得意?」と。
自分が下手だと思っているものが想定外に褒められると、人間は不審に思う。なぜこんなに焦げている玉子焼きが、なぜこんなに隙間だらけの弁当が褒められるのか。
疑った私は次に同じようなことを言ってきた人に「どこをどう見て褒めてくださったんですか?」と単刀直入に聞いてみた。すると、「俺が子どものときなんて昨夜の総菜の残りとか当たり前に入っていたし、そもそもご飯は詰めるものじゃなくてラップで包んで別持ちだったよ。何種類もおかずが入ってたことなんてなかった」と笑いながら語られた。
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私の母はよくも悪くも普通だと思っていた。
四種類のおかずのうち一つだけ冷凍食品のお弁当で、朝はウインナーとピーマンを炒めたおかず。夜は必ず作ってくれたけど、うちに計量道具なんてなかった故、味付けはぜんぶ目分量。焼き魚とかカレーとかいわゆる普通の食卓。
なんで調味料計らないの?と聞いたら「そんなめんどくさいことやってられない」とせっかちな母は言う。しかし不味いと思ったことは一度もなかった。お弁当も「今日は手抜き」と言って渡されたときですら、どこが手抜きかわからないくらいにはおかずがぎっしり入っていた。
そうして思い出した。母がママ友と宅飲み会をすると言った日、大量に玉子焼きを作っていたことを。各家庭一品ずつおかずを持ち寄ることになっていたのだが、母は有無を言わさず玉子焼きを頼まれたらしい。
母の作る料理は他にも美味しいものがあるのに、と不思議がっていた私に、母は「私が作る玉子焼きが一番美味しいからって。なんでそんなに焦げずに綺麗に巻けるの?って聞かれたりもするんだけど、コツとか特にないって返した」と照れ臭そうに言った。
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母は料理が上手だったらしい。私が自分の料理に納得できないのも、毎日美味しいと思える料理を食べて育ったからだ。決して豪勢で手の込んだ料理ではなかったけれど、目分量でさっと作った品々が母の味になっていた。だから本当にコツとかではないのだろう。
実際、不味いと思ったことはなかったけれど、今日食べたハンバーグの味が前回のハンバーグの味と違うことはよくあった。全部目分量なため、同じ味付けのものは二度と作れないのだ。
玉子焼きが焦げた日、返事はわかっていたが、せっかちな母にコツを聞いた。
「コツなんてない、けど、強いて言えば手際」らしい。