清少納言が中宮定子に「中国の香炉峰の雪は如何でしょうね」と問いかけられた際、部屋のすだれを上げて見せた、と「枕草子」にある。
唐の詩人、白居易の律詩の一節「遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き、香炉峰の雪はすだれをはねあげて看る」を引用した粋な冬の謎かけだ。香炉の名を冠する山は中国各地にあるが、とくに有名なものは江西省の景勝地、廬山の香炉峰である。
白居易は左遷により廬山に移ったものの、そこまで悲観していなかったのではないかと言われている。ここは遺愛寺のような古刹が立ち並び、司馬遷を始めとする作家や学者が多く訪れた。漢詩を作る人にとっては、インスピレーションを与えてくれる聖なる山といってもよい。
画像検索をするとわかるが、まさに中国の水墨画に描かれるような、一つの文化のオリジンを感じさせる地だ。日本人の多くが富士山の形をすぐに思い浮かべることが出来るのに近いかもしれない。そんな聖地に住むということで、ひっそりと感動する気持ちは理解できる。
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白居易ではないが、一人で暮らした大学時代は私もこんな感じだった。
「関空の声は盃を掲げて聴き、学舎の月は帳をかき分けて看る」といえば聞こえはいいが、授業以外はかなり勝手に過ごしていた気がする。
耳も目も、気づけば空を追っていた。故郷は高山に囲まれた空で、あまり広くは感じなかった。アパート周辺は大きいマンションが少なく、その分空が広かったように思う。経度が西にずれた分、夜が来るのも遅かった。
一人暮らしの最大の発見は、自分以外の音がないということだ。実家にいると両親や弟が何かしら音や声を立てているものだが、アパートではそれがない。壁が薄いので隣人の物音は聞こえるものの、それもずいぶん遠いように聞こえた。
自分の生活音と、ベランダで集会をする猫たちの声、そして近隣の空港の飛行機が離着陸に入るゴーというエンジン音。特にやることもない休日は、さんさんと降り注ぐ陽光を浴びてそれらの音を聞いていた。
今思えば自閉症スペクトラムの症状だとわかるが、たくさんの音、特に人の話し声が同時発生しやすい場所が苦手だった。必要な声のみに注意して聞くのが上手くできない。
大学の通学路から外れたところに1年、最寄り駅から一駅先の住宅街に2年住んだのは幸いだったと思っている。いわゆる学生街はざわめきを無理やり聞き取ろうとしてしまい、消耗するのだ。
学生寮に空きができて中途入寮したものの、うつ病が再発して結局1年半で飛び出してしまった。
建物のどこにいても神経が休まらない。色々とミスが相次いでしまったこともあるが、一番の理由はそれである。館内放送で呼ばれることもあるので耳栓もできなかった。
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帰った田舎は静かだった。空港が遠いので騒音は少なく、放送も戸外の防災無線と帰宅を促す「峠の我が家」くらいしか聞こえない。どうしても神経がざわついてしまうときは、耳栓をつけることもできた。
母はいるものの、できるだけこちらを刺激しないように気を付けてくれたおかげで、そこまで気にならない。同時期にメンタルクリニックにつながることができ、服薬で精神的な波をコントロールしていた。
話し声がとりわけだめだということがわかったのは大きい。復学後の2軒目のアパート選びの決め手になったし、障がい学生支援の窓口に相談して人の少なそうな講義を一緒に選んでもらえた。期末試験の際は、同じような状況の学生と一緒に別室受験でなんとか合格したのである。
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就職で帰り、数年が経った。今年から両親と同居生活になったので、生活音はいくらか聞こえてくる。今のところ、家でパニックは出ていない。職場も、だめそうだと思ったら少しだけ一人になれる状況が作れる。それでも、めったにないイレギュラーが重なり、気を張って倒れてしまったことはあるが。
多くの人に反対されそうだが、状況が整ったらまた一人暮らしを再開したいと思う。あの空と飛行機の音、山国ではなかなか出会えない温暖な昼下がり。白居易の穏やかな感動に共感してしまったからだ。
遠い鐘の音に思いをはせつつ、耳をすましている。