小学生のときから、いわゆる優等生だった。
宿題を提出できなかったことはほぼないし、決まっていつも班長に推薦される人間だった。
地頭がとても良いわけではない。だから模試の点数や偏差値はそんなに高くない。
ただ、決まりを守るのが得意で、先生に評価されるような行動を自然と取れる子どもだった。
そんな調子で、中学の成績は体育以外オール5だった。内申点の高さのおかげで、第一志望の高校に推薦で受かった。
高校も部活の部長をやりながら、成績は学年3位だった。指定校推薦でいちばん行きたかった大学に入った。
名前を聞いたら誰もが「頭がいいね」と言ってくれるような大学。
そんな大学に入れたから、就職活動もアンパイだと思っていた。
◎ ◎
でも、違った。
名の知れた企業にエントリーシートを出しても、どこも通らない。
学歴でマイナス面になるわけじゃないはずなのに、書類で落とされる。
就活中、学歴コンプレックスで苦しむ人も多いかもしれない。でも、学歴があっても受からない苦しみがあるのだと知った。
まるで、私の中身が否定されているみたいで苦しかった。
ずっと、計算高く、打算的に生きてきた。
成績の合計が少しでも高くなるように逆算してテスト勉強をしていた。点数のために、本質的な勉強とは程遠い暗記もたくさんした。1週間で覚えたものは、1日で忘れていた。
高校までに覚えたことを、大学生の私はもう思い出せない。
ずっと、将来のために頑張ってきたつもりなのに、私のなかには何も残っていないような気がした。
そんな自分がもう嫌だった。冒険したくなった。レールを踏み外したかった。
親が喜ぶ大手企業に行ってもつまらない。もう、誰かの評価を求めるマジメちゃんからは卒業だ。
そう思い、両親の反対を押し切って社員30名以下のベンチャー企業に飛び込んだ。
◎ ◎
そりゃベンチャーはちょっと不安だった。「まあなんとかなるでしょう。会社の業績も右肩上がりって聞いたし」そんな思いで私は、今までのレールの延長線上にないところに足を踏み入れた。
内定をもらってからの1年間は、会社でインターンをさせてもらった。
採用活動、イベント司会、動画編集、ライティング……。
いろんなことを勉強して、いろんなことに挑戦した。
とても楽しい1年間だった。
最初は心配していた親も、私の楽しそうな姿を見て安心してくれていた。
だから、未来にはワクワクしかなかった。どんな刺激的な未来がこのベンチャー企業で味わえるのか、私は大きな期待を抱いていた。
私は早く入社したくて仕方なかった。
入社2週間前までは。
入社2週間前。2022年3月中旬。
会社の上司に、同期とともに呼び出された。
「会社が倒産しそうで、みんなを3ヶ月以内にクビにするかもしれない」
目の前が真っ暗になる感じがした。
「業績右肩上がりって聞いてたんだけど……」
泣きじゃくってお家に帰った。
親には言えなかった。親は最初から反対していたじゃないか。
私が冒険しようとしたことは、間違いだったのか。結局、自分のしたい選択をしたら、失敗してしまうんだろうか。
親の言う通りにしていたら、こんなことにならなかったのか。
「私が間違っていました」と認めるみたいで、恥ずかしくて親には何も言わなかった。というか、言えなかった。
◎ ◎
その分、弟にだけ話を聞いてもらった。過去7年間の不登校経験がある弟には、「今まで苦労のない人生送っていてつまらない人間だと思ってたけど、ようやく人として深みが出るんじゃない?」なんて言われた。
そんなふうに思われてたなんて、と失笑しつつ、今の苦しみも無駄じゃない気がした。
入社日は近づいていて、就活し直すにもタイムオーバーなのでその会社に入社した。
とりあえずクビにならないように、と思って働いた。
結局、業績は少し回復して、3ヶ月を過ぎてもクビにならなかった。
けど、ゴールが見えなくなった。今いるベンチャー企業という船の行く先に、ワクワクできなくなってしまった。
気づいたら、同期も先輩も半分近くいなくなっていた。
でもどうしたらいいかわからなくて、苦しみながら考え続けた。
ずっと考えつづけるのは苦しかったし、今すぐ逃げ出したいときもあったが、時間をかけた分、ワクワクできる新しい道を見つけることができた。
◎ ◎
入社して半年。私は会社を退職することを決めた。
早期離職と言うのだろう。
次に行く道はまだ、決まっていない。
私が無職になったのを知った誰かに、
「あの子、新卒で入る会社間違えたんじゃない?」
などと言われても、気にしない。
新卒で入った会社で過ごした時間は、私の冒険の始まりに過ぎない。
1社目が潰れかけのベンチャーだったんだから。もう、なにも失うものはない。
さあ、どんな冒険をしようか。