私が社会人になったのは、今から約4年前。高校生の時、周りよりも少し勉強を頑張って、一番に希望していた大学に入った。途中で海外留学もしたりなんかして、帰国後はみんなと一緒に就職活動をして、地元の企業へ就職した。

就職したのは地元で有名なホワイト企業。社員に優しい会社だった

私は帰国後、企業の「ネームバリュー」にこだわった就活はしたくない、本当に自分が働きがいを持てる仕事をしたい、と意気込んでいた。
とはいうものの、ベンチャー企業は勢いや刺激はあっても業績が不安定そうだ、外資系の企業は極端な成果主義だから腰を据えて実績を積み上げるのが難しそうだ、といろいろな言い訳を連ねて、結局地元で有名な、歴史ある日系の上場企業に入社した。両親や祖父母も「いいところに入れてよかったね」と喜んでくれた。

就職先の会社は、地元では「ホワイトな会社」として有名であり、就職活動中に出会った社員の雰囲気からも「あ、いい人が多そう。人間関係で悩むことが少なそうだ」と感じたし、実際に入ってみても、社員にすごく優しい会社だと改めて思った。

私は何のためにこの仕事をしているのだろう。思いが膨れ上がっていた

でも……4年間の会社員生活を経て、一旦区切りをつける決断をした。

働き始めてから1年、2年と毎日を忙しく過ごすにつれ、「あれ、私って何のためにここでこの仕事をしてるんだろう」という思いが自分のなかで膨れ上がっているのに気がついた。
けれどそこには、私は甘えているんだ、まだ十分な経験もないうちは、がむしゃらに働くしかないだろうと、逃げたい気持ちを必死に抑えこむ自分がいた。

ところが、大好きな彼と入籍し幸せの絶頂の最中であった4年目の夏のある日、膨れ上がったそれが、ぱんとはじけたのだ。

一人暮らしのときは、夜10時に退勤したあと、コンビニでおにぎりを買って、それをほおばりながら運転して家に帰り、無心でシャワーを浴びて寝てまた起きて……という生活も、これも社会人の宿命だ、仕方ない、で済んだ。朝起きられないわけではないし、お腹が痛いときもあるけど、トイレにこもるほどでもない。繁忙期には、たまに片耳が聞こえにくくなるけど、耳鼻科では異常なしと言われた。健康体に生んでくれた両親に感謝である。

けれど、週に1度しか会えなかった大好きな人と、やっと同じ場所で一緒に暮らせることになった。それなのに、帰宅して彼が温めてくれたおかずを急いで口へほおりこみ、「今日あった面白いこと」の話もできないまま明日に備えて寝る日々。そしてまた起きて渋滞に揉まれて……。

「あれ、私は何のためにこの仕事をしているのだろう?」

そう思い始めたときついに、以前のように「甘えるな!がんばれ!」と叱咤する自分はどこかへ消え去り、「もういい。まずは今の幸せを優先しよう」と許す自分が現れた。

私は、幸せになるために仕事をする。自分の在り方を模索したい

人はみんな、幸せになるための手段として、仕事をしている。もちろん、仕事をすること自体が幸せだと感じる人も一定数いるが、少なくとも私は前者だ。そのことを見失ってはいけない、と強く思った。

とはいえ私は、専業主婦にはなれない。やっぱり社会で小さくてもいい、何か価値を与えたいのである。とんだ甘えた人間だと自分でも思うが、周りのサポートもあって、すこし考える猶予を与えてもらった。その時間、必死に自分のこれからの在り方を模索していきたいと思う。

まだ20代。健康な体がある。2022年は「甘え」「逃げ」というある種の負い目をバネにして、自分の進むべき道を切り開く年にしたい。