なるべく思い出したくない出来事を回顧して綴るため、どうか最後まで読んで欲しい。

中学校3年生の時、一度だけ風邪を引いて学校を休んだことがあった。
中3と言えば高校受験で根詰まっている時期で、一日でも授業を休めば大幅な勉強ロスとなる、いわば致命傷だ。だからその時期にクラスメイトが休んだ時は、必ず先生かクラスメイトが配布されたプリントやノートを残しておいて、後日その子に渡してあげるのが暗黙のルールだった。

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風邪を治して学校に行ったとき、私にも休んでいた時の授業のプリントが一纏めにして渡された。一枚一枚、何の教科のプリントか確認していくと、ふと理科のプリントが目に留まった。他の教科のプリントはぜんぶ無記名なのに、理科のプリントだけ私の名前が書かれていたのだ。
近くにいた子に「理科の時、私の名前書いてくれた?」と尋ねたが、書いていないとのことだった。後ろの座席の子も、前の座席の子も、私の席の近くの子は誰もプリントに私の名前を書いていないという。

当時、書道を習っていた私は、その名前の表記とクラスメイトが誰も書いていないという状況から、大嫌いな理科の教科担任が書いたのだと判断した。そして私はあろうことか「あの先生が書いたんだ、汚い字」と揶揄った。
本心から汚い字だと思っていたわけではないが、嫌いな先生が私の名前をプリントに書いたという嫌悪感でいっぱいだった私は、とにかく先生を貶める材料ができたという悪心から悪口を放った。

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そうして二、三日が過ぎた頃、隣の席の男の子が突然、「あのさ」と話しかけてきた。
「休んでた日の理科のプリントに名前書いたの、俺」

名前書いてくれた?と最初に尋ねて「書いてない」と返答した男子だ。
私は卒倒しそうになった。字が汚いと揶揄しまくったあの日、もちろん彼は私のすぐ隣にいたし、しかも何がまずいって彼は書道教室に通っている子なのだ。
私も書道を習っていたのでわかる、書道をやる人間にとって「字が汚い」と言われることは相当な屈辱だということを。

謝りたかった、しかし何をどう謝ればいいかもわからない。だいたい、あのとき素直に「俺が書いた」と言ってくれれば私の過ちは起こらなかったのに。
後悔と申し訳なさとよくわからない苛立ちに苛まれたまま、結局私は一言も謝ることができないまま中学校を卒業した。

成人式で会った時にはちゃんと謝ろう、と中学校を卒業してからずっと思っていた。このままでは死ぬまで後悔したままになる。
そう思って行った成人式に、彼は来なかった。遠くへ引っ越してしまって、都合が合わなかったのだという。
残念がる私の耳に飛び込んできたのは、彼が中学卒業してすぐに書道を辞めていたという痛烈な情報だった。

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今でも私は綺麗な字の人を見ると惹かれる。同時に、あまり整っていない字を書く人を見るとどうしても彼を思い出す。そしてこう思うようにした。
「この世に字が汚い人なんて存在しない、ただ私の好きな字ではないだけ」と。