新卒で入った会社を辞めて転職活動をしていた頃、とある企業の面接でちょっと変わったテストを受けた。
「自分はこういうタイプだと思っている」「ピンチに陥ったとき、自分はこう行動する」といった設問が並び、A~Dの選択肢からあてはまるものを選ぶ、アンケートのような形式のテストだった。

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すべての回答が終わった後、面接官であった社長は私の回答用紙を見るや否や、突然言い放った。
「君は、自分のことを他人に理解されたくないんだね」
どうやら私が受けたテストは、性格診断のようなものだったらしい。
「はあ……」という相槌の先を続けられない私に、社長は次々と診断結果の文章を読み上げていった。

「自分の中に世界を持っていて、でもそれを他人に説明したいとは思わない」
「むしろ他人に自分のことを理解されてたまるか、と思っているね」
「自己評価は低いけど、自己愛は強い」

聞きながら、だんだん行き場のない怒りで頭が真っ白になった。
おそらくは私を不採用にするつもりであろう、人生のうちでこの小一時間しか対面しない予定の人間に、どうしてここまで自分の内面をほじくり返されなくちゃいけないんだろう。
あまりにも不躾すぎる所業に、お祈りメールを受け取るよりも先にこちらから願い下げだ、と泣きそうになりながら帰ったのを覚えている。

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しかし時が経つにつれて、不躾社長から言われた言葉の正しさのほうが、より印象的な記憶として残っていることに気づいた。

私は確かに、自分の内面を他人に説明することが苦手かもしれない。
初対面の相手や久しぶりに会った知人に「最近はまっていることって何?」と聞かれると、毎回ものすごく身構える。
何も思いつかないのではなく、相手に話すための「正解」をつい探して、答え方がわからなくなってしまうのだ。

一度、試しに自分の思ったことをそのまま言ってみたことがある。
飲み会の席で、初対面の男性二人組に「最近はまっていることとか、趣味とかあるの?」と聞かれたのだ。
「マーダーミステリーにはまってます」
答えると、男性二人は半笑いで固まった。
「マ……何?もう一回言って?」と聞かれるままに、
「マーダーミステリーは、推理小説の登場人物になって事件を推理していくテーブルゲームの一種なんですけど、最近それをオンラインで遊ぶのにはまっていて。探偵役になって推理するのも、犯人役になってアリバイをでっち上げながら話すのもお芝居みたいで面白いんです」
と話していくと、くすくす笑われた。完全に馬鹿にしたような笑い方だった。
「ごめん、俺らわかんないから、別の話しよ。他にはまってることってない?」

半笑いのまま聞かれて動揺した。焦って考えて、咄嗟に「麻婆豆腐を作るのにはまっています」と答えると、また笑われた。
「なんか違うんだよな~」と二人でアイコンタクトしながら笑い続ける彼らを見ながら、もう金輪際好きなものの話なんかするもんか、と心の中で誓った。

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今なら、「最近はまっていることは?」という質問はコミュニケーションの一環で、自分と相手の共通項を探すためのものだということもわかっている。
ただ、私は自分の好きなものを他人に否定されたり、「よくわからない」と微妙な反応をされることに耐えられなかったのだ。
不躾社長の言葉は当たっていた。私は自己愛が強いし、それを他人に理解されるために努力したいとは思わない。

とはいえ、人間は時と共に変化し、成長していくもの。
私は、自分の内面や好きなことについて「文章で表現する」という手段を覚えた。
不躾社長の面接からほどなくして転職活動自体を止め、現在はフリーライターおよび校正者として仕事をしている。
文章であれば、相手の反応を気にして焦ることもなく、自分が納得いくまで言葉を吟味し、存分に好きなものについて語ることができた。

苦手なことは苦手なままで、それでも成長することはできるのだ。