やってきた。
街のキラキラした空気、幸せそうなカップル。
普段は感じないのに、この季節に関しては独り身というレッテルがひどく辛く感じる。
冬、今年もまた安定に病んでます。
なお、仕事は頑張りますが私生活は頑張らない可能性がございます。ご了承ください。
◎ ◎
私の両親は仕事ができる。
娘の私から見てもそう感じるほど、両親は頭も良く、仕事が捌ける。
余裕を持った人間にこそチャンスは訪れる。そしてとりあえずやってみる。
両親が、仕事が捌けているように見えるのは、きっと先ほどの流儀が両親の中に基盤として存在するからだと思う。
手伝って欲しいことがあるけど、あの人は少しピリピリしているから頼みづらいな。
そんな人が職場にはいる。
そしてそんな人はそういった雰囲気を無意識に出しており、それは余裕がないからである。
そんな雰囲気を出してしまうと、自身の成長に繋がりそうな仕事を経験する機会を逃す。
余裕がある、というのは非常に重要なのだ。
もちろん何でもかんでも仕事を請け負って、自身のキャパを超えた量を抱え込めばいずれ破滅し迷惑をかけるため、塩梅は必要だ。
しかし、そもそもチャンスをいただく機会すらもらえないというのは非常に勿体無い。
だから私は仕事において常に笑顔で、話しかけやすい雰囲気を出すことを意識する。
「睡蓮ちゃんだから頼めたよ〜」
そう言われた日にはしめしめと心の中でほくそ笑むのだ。
◎ ◎
ここまで聞くとまるでイエスマンのような人間に感じるが、あくまで仕事の中の話である。
プライベートにおいて喜んで受けるのは家族からの頼まれごとくらいだ。
私の家族は、世間的にみるとかなり仲の良い部類に入ると思っている。
なので、家族から相談を受ければ喜んで乗るし、悩みがあればできるだけ解決したい。
私生活において違和感なく自己犠牲を払うことができるのは家族だけなのだ。
最近は今年生まれた甥っ子が近くにいるので、なかなか訪問することができない両親の代わりに、休みのたびに姉の家に赴き甥っ子のお世話や姉のストレス解消に努めていた。
もちろん甥っ子は可愛いし、姉も産休で大人と話す機会もあまりなくずっと外に出ずじまいなので、私を頼ってくれ、力になれることはすごく嬉しい。
たとえ、自身の休日が一日姉や甥っ子のために割かれようが何も問題がなかった。
しかし、毎年訪れる冬の大ネガティブキャンペーンではその余裕すら無くなってしまった。
◎ ◎
それは唐突に訪れる。
「あ、もうだめだ」
月に一回のレディースデイの落ち込みより、もっと深く暗い闇の中を彷徨う感じ。
何を見ても全部ネガティブへと変換してしまう謎の思考回路。
治す薬があるのなら貰いにいきたいくらい、それはひどい。
基本的に気分が落ち込んでも顔に出ないタイプの人間であるが故、他人は気づかない。
もちろん仕事の時は女優の仮面をかぶって気づかれないよう配慮する。
しかし、家族の前ではどうしてもその仮面が剥がれる。
「今週も来るでしょ?」
二日の休みのうち、どちらかは家に訪れることを当たり前だと言わんばかりの姉の言葉。
普段であれば喜んで返すところも、この時ばかりはすこし顔が引き攣った。
それでもビデオ通話だったこともあり、強く否定はしなかった。
訪問するかの質問に対して肯定しないことが精一杯だった。
通話が終わり、文面で自分に余裕がないことを伝え、行かないと決めた。
内容を考えていくうちに、私の事も考えてほしいという思いが強くなり、送った文章はかなり冷たかったと思う。
その日以来、姉の自宅を訪れることができていない。
家族は大事だ。
でも自分に余裕がない時は手を貸すことができなかった。
自分の機嫌は自分で取るべきなのに、感情に振り回されてしまった。
せっかく頼ってくれたのにごめんなさい。
キャンペーン終了に向けて毎日模索中ではあるが、こうして頼りにしてくれる人のことをもっと大事にできるよう心の余裕を持った人間に成長していきたいと思う。
お姉ちゃん、あと少しだけ待っていてください。