「えっ、雰囲気変わったね、本当に誰かと思った。全然気付けなくてごめん!」
1年半ぶりに会った大学時代の同級生に言われた言葉。
私自身としては、「えっ、本当にかおりん!?」とびっくりされるほど、大変身したつもりはなかったのだけれど、久しぶりにあった友人たちや恩師は口をそろえて「全然印象違うね!昔から大人っぽかったけど、大人のレディって感じになった」と。

ここ数年間で変わったことと言えば、長年黒髪ロングだったヘアスタイルを変えて、茶髪セミロングになったことや、仕事が軌道に乗り始めて大きなプロジェクトを率いるようになったこと。

結婚しようと思っていた相手と3年も付き合って別れたこと。
その後に付き合った人は、「私が素直でいられる相手だ!」と確信したけれど、結局別れてしまった。別れて正解だった。
「変わった」と言われて、何が変わったのか考えていると、「人生は思い通りにはいかないこと」を受け入れて生きるようになったことだと思う。

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今までかなり順風満帆な人生だった。
高校受験では第一志望の高校には合格できなかったけれど、進学した第二志望の高校も、世間からすれば十分「あの学校出身なんだ、いいところじゃん」と言われるくらいだった。
通った大学も、就職活動で全く苦労しないランクの名門大学だった。

「大学名のせいで説明会参加が断られる」という経験は全くしなかったし、むしろキャンパス内で開催される会社説明会に大企業が出展するくらいだった。
就職の成功例は、「大手商社」「大手IT企業」「外資系」「国家公務員」。
「えっ、メガバンク?銀行に就職するなんてつまらない」と、他の大学の学生がこぞって応募するようなメガバンクは私の周りでは不人気だった。

いばらの道を自ら進むのではなく、親も安心できるような大手企業の社員になればいいのに、設立間もないベンチャー企業を選ぶ同級生だっていた。

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順風満帆だった人生に異変が起きたのは、当時付き合っていた人のために、その人との人生を歩むために、夢だった大学院進学を諦めた頃からだった。
本当に真剣だったから。その人と結婚してもいいと思ったから。
「今まで順調だったのに、人生うまくいかないなぁ」と思うことが増えた。
大学卒業後、すぐに大学院には進学せずに、今仕事をしていることは正直心残りかと言えば、そうである。

「やっぱり大学院に行きたい」と思うときもある。
その元恋人について、母と思い出話をするときには、「あの時あの人と付き合っていなかったら、大学院に行ってたでしょ」という話になる。
といっても、別れてしまった今となっては、いかに元恋人が嫌な男かについて愚痴を言い合うだけなのだけれど。

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あの頃を思い出すと、自然と涙がこぼれてしまう。
あの頃、結婚を選ぶためにまずは「自分も自立しよう、就職しよう」と思うのではなく、自分の夢を選んでいたら良かったのか。
相手には「あと3年待って」と言っておいて、もし相手が「3年も待てない」と言うのなら別れても良いという覚悟でいれば良かったのか。

自分が願って努力をすれば、ほとんどのことは叶えられてきた人生だったから、正直、就職を選んだ私の決断が正しかったと正当化する以外に方法がなく、20代になってやっと挫折を経験するなんてある意味幸せ者なのかもしれない。
ただ、あの頃大学院に行かなかったことは、もうずっと心残りのままでいい気がしている。

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今の恋人は、私が「大学院に行きたかった」ことを知っている。
彼は、私の憧れの「大学院」に行き、修士課程を卒業して仕事をしている。
「今日はこのセミナーを聞いてた」という彼からのメッセージを見て、届いたURLを開いてみると、社会人大学院に関するセミナーだった。

「社会人大学院ね~」という素っ気ない私からのメッセージに対して、「興味ある?」「もし行くなら協力するよ、家のこととか」と彼は返信をくれた。
さすが。私の心配事を先回りで察知してくれている。
大学院に進学することは、一度、仕事を辞めることを意味する。
副業やアルバイトをしたとしても、正社員として働く今ほどの収入は得られない。
自分1人の人生なら、自分の貯金を使って、自分のやりたいことを叶えるために大学院に行くことにそれほど大きな抵抗感は感じないけれど、パートナーがいる状態では少し違う。

私が大学院に行くことで、家庭に負担をかけてしまわないか、自分だけ仕事をしていなくて相手に頼っていいのかと考えを巡らしてしまう。
私の人生、やりたいことがいっぱいある。
だから、全てを実現させようとするのではなく、「これができたらラッキー」くらいの感覚でいようと決めたんだ。