床の上で均衡を保っていた本の山にも、雪崩れて消える時が来る。
「……もうこの子と会うことはないだろうな」
ある長年の友人に背を向けた時、確信めいて思った。
数ヶ月前に会った彼女は、何を話しかけても……黙っている時でさえ素っ気なく、明らかに気分を害した風だった。
投げやりな応答に、合わない視線……学生の頃から見慣れた態度。
彼女の突然悪くなる機嫌に、私の"もわん"は溜まっていくばかり
彼女は中高時代の友人だった。
食べるのが好き。カラオケが好き。小心者。目立つのが好きでない。絵を描くのが好き。実は悪ノリが好き……どこか似ている部分が多くて好ましかった。
概ね楽しく過ごしていた、と思う。いい思い出はたくさんあるし、彼女なしに私の学生生活は語れない。
けれど思い出の中には、もわんとした灰色の、生温くて苦しいような感情も紛れ込んでいる。
彼女は突然、私にだけ機嫌が悪くなることがあるのだ。
周りに対する態度との差は明白。それでいて理由は言おうとしなくて、聞き出すのにも1日がかり。けれどお昼も教室移動も一緒にいようとする。隣にいるのが嫌そうな顔で。
含むところありと顔に書いてある人の横で過ごすのは、毎度いたたまれなかった。
大学生になればそんなことはなくなるかと、薄ら期待していた。距離ができて、大人になったら、お互いを大切にできるのではないかと。
けれど私の"もわん"は着実に溜まっていくばかり。他の子には普通に接するのに私にだけ不自然な態度を取られては、灰色が私を侵食していく。
大学入学記念的な気持ちで思い切って問い詰めるのをやめたらだいぶ楽だったけれど、蔑ろにされた寂しさやるせなさまではゼロにできなかった。
それでも私は彼女を友達だと思っていた。
こんな苦労をしてまで、私は彼女と分かり合う必要があるだろうか
そして数ヶ月前。この時は二人きり、彼女の状態は先述の通りというわけで。
ぷつりぷつりと無理な会話が途切れては。
もわん、もわんと胸に澱のように沈む灰色。
結局二人でいるからには見過ごせなくて久々に問いただして、また長々と不毛なやりとりをして、攻防戦に疲れ果てて黙る。あぁ、前と同じだ。
ふと思った。
なんでこんな苦労してるんだろう。
こんな苦労をしてまで、私は彼女と分かり合う必要があるだろうか。
その時、たぶん私は正気に返ったのだと思う。
中高時代は、理由を無理やり聞き出せるまで食い下がっていた。向こうの一方的な怒りならば、こちらの言い分も説明して認識を正してもらった。正直、誰かが聞けば強引に見えていたかもしれないくらい。それはそれはエネルギーを使って。
それだけ私は必死だった。
怒りの理由を知り、誤解なら解きたいと必死だったのは彼女を好いているからだと、信じて疑わなかった。
……そうじゃない。
それは天啓のように降りてきた答えだった。
ただ私は、誰かによって……身近な人によって自分を蔑ろにされることを、ひどく恐れていただけ。
でも今は?今、彼女に対して、そんな必死さは必要だろうか?
……要らない気がする。
私を蔑ろにしてもいいと思っている人。
被害者みたいな顔をして、私の時間を奪っている人。
1年に2度も会えばいいような過去の同級生。
もう、いいか。もわんの山に埋もれた本心を合図に、山が崩れ落ちる
会おうと誘ったのは私だけど、彼女だって応じたのだ。
嫌なら誘いを断ればいい。
適当に理由をつけて帰ったっていい。
文句は言ってもらって構わないと何度も伝えた。
それなのに。
……理不尽すぎない?
私に、どうしろと。
"もわん"は感知しないようにしていた不満であり、怒りだった。それは買いすぎた本みたいに山になって、ずっとぐらぐら雪崩の時を待っていたのだ。
……もう、いいか。
もわんの山に埋もれた本心が呟いたのを、それを合図に山がゆっくりと崩れ落ちていくのを、はっきり認識した。
帰ろうと言ったのは私だった。
電車の中で、今日はありがとうとLINEを打つ。
返事が来ないのは想定内だし、求めてもいない。
ただ、最後の一応の礼儀というやつ。
送信してLINEを閉じたら、もわんの山の残骸を捨てられたなと感じた。
……これで本当に、片付け完了。
友人関係はその時に合う人と築かれるものだと聞いたことがある。成長して属するコミュニティが替われば話も合わなくなって当然らしい。
だから。
別に一生とは言わない。
赤の他人ほど存在を無視するつもりもない。
ただ、今は。
友達、一旦やめます。
少なくとも私は、貴女をただ受け入れていたあの時より、大人になってしまったから。
もし縁があって、また波長が合うことがあれば、友達として会いましょう。