あれは、私が小学生の頃だった。

お母さんが、しばらく家を留守にしていた。
お父さんからは「お母さんは少し元気が足りなくなっちゃったから、元気を充電するために病院で暮らしてるんだよ」と聞かされていた。
あとから確認してみたら、なんで大丈夫だったの?とつい尋ねてしまうくらい、大きくて深刻な病気だった。

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お母さんはいまピンピンしているから、それ以上何も望むことはないけれど、当時はそれなりに、いや、かなり?さみしかった。
ひとりっ子で、お父さんも仕事で忙しくしていたから、おばあちゃんが家に来て家のことをやってくれていた。
おばあちゃんは優しかった。
お父さんだって、私をよく気にかけてくれていた。

でもやっぱり、お友達に嫌なことをされた時や、学校に行くのが嫌になったときに思い出すのはお母さんの顔だった。
なにくそ、と思って自分を奮い立たせようとしても、お母さんの顔が思い出されると急に涙が出た。
どうしたってお母さんが必要なタイミングがいくつもあった。

「お母さんに会いたいよ」
娘に泣きつかれて、お父さんは相当困り果てたに違いない。
お父さんは、お母さんの部屋からポーチのような四角い布の入れ物を持ってきた。
茶色ベースのカラーリングで、すみっこにはムーミンの絵。
お母さんが愛用している、ペンケースだった。
「学校でこれを使うといいよ。これでお母さんといつも一緒だ」

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私が使っていたのはキラキラした水色の缶のペンケース。
そのとき大好きだった「しずくちゃん」の描かれた、お気に入りのペンケースだった。

しずくちゃんのペンケースもすっごく気に入ってたけど、私はお母さんのムーミンのペンケースに真っ先に飛びついた。
いそいそとペンケースの中身を入れ替えた。
お母さんの匂いがして、嬉しかった。
私が言うのもおかしいが、お父さんはナイスなアイディアを出してくれたなと思う。
そんな中、私がやらかしたのはある日の給食の時間だった。

今はどうだかわからないけれど、私が小学生の頃は、給食を残すことはもちろん、配られた分から量を減らすことも許されなかった。
給食の時間内に食べ終えることができなければ、昼休みの時間も、下手すればそのあとの掃除の時間までも、給食と戦わねばならなかった。
私はそこまで食欲旺盛なほうではなく、好き嫌いもそこそこあったので、給食を食べきることができずに辛い思いをしたことが多かった。

その日も、給食を食べきれずに苦しんでいた。
その日は昼休みに他学年と交流するイベントがあり、「なんとしてでも時間内に食べ終えなければ」という雰囲気が教室中に漂っていた。
そのプレッシャーもあってかなかなか箸が進まず、いよいよ時間内の完食は絶望的になってきてしまっていた。 
少なくとも自分の視界に入っている他の子達は給食を食べ終えていた。

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とても焦った。
自分だけイベントの輪に入ることができずに、薄暗い教室でひとり給食と戦う未来が見えてしまった。

味噌汁はまず、最悪グイ飲みのような感じでなんとかなるかもしれない。
ごはんもあとふたくちくらいだから、とりあえず口の中には全部入るだろう。
今日のラスボスは、イカの天ぷら……。
いや、天ぷらなんて給食に最も不向きだと思う。
冷たい天ぷらなんて食べられたもんじゃないし、カボチャとかエビならまだしもイカなんて地味だし味はわからないし、衣はねちゃねちゃだし。
天ぷらに対する恨み辛みを心の中でつぶやきながら、ふと視線を移すと、そこで目に入ったのは、お母さんのペンケースだった。
イカの天ぷらに形が似ている。
横長の長方形。ペンケースの大きさは、イカの天ぷらよりもひとまわりかふたまわりくらい大きかった。

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お母さん。

ペンケースが目に入った次の瞬間に、私の手はイカの天ぷらをティッシュに包み、ペンケースの中に放り込んでいた。

ペンケースを手提げの奥に葬り、ふたくちのごはんを口にねじ込み、味噌汁で流し込み、私のその日の給食チャレンジは終了した。
無事に他学年とのイベントにも参加し、たいそう楽しい時間を過ごした。
脳裏にチラチラ浮かばれるイカの天ぷらとお母さんのペンケース。

ティッシュに包んだから大丈夫。
帰ってすぐに取り出せば大丈夫。

そんな期待もむなしく、ペンケースはギトギトになった。
最後の砦として賭けていたティッシュも、衣と一体化していた。
油でシミができてしまい、かわいかったムーミンは目も当てられなくなってしまった。
お父さんにもおばあちゃんにも言えず、ハンドソープで手洗いしたが、独特の匂いと油のシミは消えることがなかった。

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お母さんがいない間も、お母さんが帰ってきてからも、そのペンケースが話題にのぼることは一切なかった。
でも、もともとお母さんのペンケースに入っていたものはお母さんの机の上にばらまいたままだったから、お母さんが気づいていないはずはない。
もしかして、お母さんに「ペンケース知らない?」とかなんとか言われたら、場合によっては正直に話して謝ることができていたかもしれないけれど、なんとなくタイミングを失ってしまい、私は25歳になってしまった。

あのペンケースのおかげでお母さんがいない日々を乗り越えることができたと言っても過言ではないけれど、自分でも最低の結末だなと思っている。
そしてさらに最低だなと思うのが、ペンケースをどこにやったか忘れてしまったことである。
捨てたような気もするし、どこかに隠したような気もする。
後者だった場合、想像するのも恐ろしい。
本当に、ごめんなさい。