わたしにはふるさとがない。
正確には「ふるさと」と言われて思いつく場所がない。

母は里帰り出産をしたため、わたしは生まれた街には住んだことがない。
それからも転勤族であちこちを転々としてきて、実家もない。
そんなわたしの「ふるさと」はどこになるんだろう?
特に浮かばない。

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けれど、「ここだったらいいな」と思うのはアメリカ。
アメリカの教育は得意を伸ばす、日本の教育は苦手をなくす。
そんなイメージがわたしの中にある。

苦手なところを底上げしたとして、残るのは平均的な能力が備わった人。
なんとも日本人が好きそうな響き。
満遍なくなんでもできて、特にどこか秀でているわけでもない人は、いかにも日本で重宝されそうだ。
だけどわたしは、似たような能力の人間を量産しても、面白くないと思う。
極端な表現だけど、アンドロイドに近いものを感じる。

そして「出る杭は打たれる」と言うように、何かに秀でた人がそれを大っぴらにすると、社会から締め出すような圧力を感じる。
こんなことわざは、きっと英語にはないだろうと思って調べてみたら、英訳や英語での説明は出てきたものの、それに該当することわざは見つけられなかった。

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反対にアメリカは、得意なことを伸ばし、褒め称える文化。
日本ではそんなことで?と思うようなことでも、大げさに褒めてくれる。
これはあくまでわたしのイメージで、実際にあるかはわからないけれど、先生にプリントを提出したとき、日本なら返ってくるハンコは「がんばろう」「できた」「よくできた」なのに対し、アメリカでは「Good」「Great」「Perfect」。
「がんばろう」は、遠回しにあまりできていないことを示すのに対し、アメリカでは何をしてもとりあえずは褒めてもらえる気がする。

というのも、英語が苦手なわたしが、日本で英会話を習っていたとき、外国人の先生に何かが「できていない」と言われた覚えが一度もない。
だけど、過去に英語を教えてくれた日本人の教師たちは、「がんばろう」みたいな評価も当たり前にする。

苦手な分野が大好きで、得意なことよりも頑張りたい。
幼少期にそんな奇特な願望がある人も珍しいと思う。
得意なことが好きな子どもは多いと思うし、「それをもっと頑張ったらいいよ」と親が言ってくれて、それができる環境を整えてくれたら、子どもはもっとのびのび育つと思う。

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「ダメと言われるとしたくなる」そんな経験をしてきた人もたくさんいると思う。
ダメと言われるとかえって興味を掻きたてられ、逆の行動に走る心理現象のことを、カリギュラ効果というらしい。
鶴の恩返しとか、ハリーポッターとか、小説でも「開かずの扉」とかが出てくると、「絶対に開けてはいけません」と言われるけれど、だいたいみんな開けてしまう。
勉強を規制する必要はないけれど、親に「勉強しなさい」と言われてムクムクとやる気が湧いてくる子は、なかなかいないと思う。
圧をかけられて喜ぶ子は、よっぽどのドM以外いないのだから、もっとみんながのびのび自由に育てられる社会になればいいな。

そんな社会で育った子は、もっと幸せになれると思う。
2022年の世界幸福度ランキングで、日本は先進国の中で最下位だった。
そこにはこういった教育方針も、少なからず関係している気がする。
できれば、もっと幸福度の高いところがふるさとだと、胸を張って言いたい。

「出る杭は超えてやる」なんて言葉が日本でことわざになる日は来るだろうか。
わたしが生きている間は無理かもしれないし、今後一生来ないかもしれないけれど、そんな日が来ることを切に願う。