以前書いたエッセイに、「私は新年に目標を立てない」と述べた。
そんな私がこのテーマのエッセイを書くのは矛盾しているかもしれない。
それでもこのテーマで書きたいほど、例年の私とはちょっと違うのだ。

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2022年は、文章を書いたり読んだりをたくさんした一年だった。
たくさんというのは、あくまでも個人的にはたくさん、という意味だ。
それくらい馴染みのなかったことを、今している。

この一年、いくつかエッセイを書いてきたが、書くことも読むこともしてこなかった人間の書く文章は、果たして"文章"として成立しているのだろうか。
勉強もろくにしてこなかった人間がそれっぽく書いていることを、誰かに見透かされてはないか。
そんな被害妄想がもっと膨らむ前に手を打ちたい。
"文章を書く"ことの知識を身に付けていきたい。
これが私が2023年に成したいことだ。

といっても、スクールに通うとかそういう計画はまだ何もない。
私の良いところが出てしまっている。
こういう皮肉を、来年の今ごろにはもっと効果的に書くことができていると信じたい。

私が今興味を持っている"書くこと"は、エッセイに留まらない。
小説やコピー、ライターなど書くこと全般だ。
「無知より怖いものは無い」という言葉があるが、まさしくその通りだなと思う。

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先日、ドラッグストアで買い物中に美容部員の方に声をかけられた。
肌質や体質にあったスキンケアをヒアリングから導きだして、サンプルをくださるとのこと。
とても感じのいい女性で、話を聞きたくなる方だったのでそれに応じ、私に合うであろう基礎化粧品のサンプルをいただいた。
だが、言われて驚いたことがあった。
「お客様のようなキメの細かい方は毛穴が小さくて、脂が排出されにくいんです」
ニキビに困っていることを言った時にこう回答されたのだ。
私はずっとその逆だと思っていた。
キメが荒く、毛穴も広がっている。だからテカるし、ニキビも消えない。
全くもって逆だった。
化粧水の後にクリームを塗るのは、脂っぽい私には危険だと思っていたが、「確かに成分的に良くないものもありますが、しっかり保湿することが大事です。テカりが気になるのは乾燥しているからだと……」と言われ、ハッとした。
無知である故にドツボにはまっていたのだ。

無知であることの怖さは、どんな分野でも同じに思う。
芸能の分野に於いて「習ったことないけどうまい」という人がいて、とても魅力的に見えるが、そういう人に自分もなれると思ってはダメだ。
私はずっとそうなれると信じていた。
自分が信じているものが正しいとは限らない。
かといって努力が必ずしも実るとも思わない。
それでもやってみたいと思える物事があることの方が私には希望なのだ。

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遊びの幅を効かすために知識は必要。
それが自然と身に付くタイプなのか、教わって身に付くタイプなのかも、今の私にはわからない。
だからこそ学びに制限を設けず動く。
そんな一年にしたい。

無知故に驚いたことはまだある。
全くと言っていいほど本を読まなかった私は、「小説には決まった形がある」と思い込んでいた。
厳密に言えばあるのだろうが、私が勘違いしていたそれはないように見えた。
言葉遣いや、場面の表し方、登場人物の話し方など作者によって全然色が違う。
当たり前だが、作者は一人一人違う人間で、生きてきた道も違う。
それを感覚的に捉えることができる。
物語に感動するよりも、この発見に心が躍った。

学校教育で「こうあるべき」を刷り込まれた末路なのだろうか。
こんな歳になるまで、それに気がつけなかった。

知識を得ると、考え方が変わることに気がつきはじめた。
書くこと以外の知識もたくさん身に付けたい。
それが書くことへも繋がる。
もとはすべてひとつだったのだ。
なんて急にスピリチュアルになってしまうのは私の良くない癖なので、気にしないで欲しい。

2023年、この一年で成果を出すというより、これからのために色々身に付けていく、そんな年にしたい。
あまり欲張りはよくないが、美容やダイエット、その他もろもろの知識も得たいと思っている。
知恵熱を出さないように、が来年のいの一番の目標かもしれない。