3.11のあの日、中部地方にいて何も被害がなかった。小学生だった私は何もできなかった。何もできないということが悔しくて、モヤモヤが消えなかった。
でもこんなこと誰かに話して、「偽善者」、「自己満足」、「エゴイスト」などと思われるのが嫌で言えなかった。誰にも言えないからこそ、モヤモヤが大きくなった。
そして「ボランティア」の文字がちらつく。
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小学生、中学生、高校生、ボランティアに参加するチャンスは何度もあった。でもボランティアという行為は善意の押し付けで、返って迷惑になるのではないか。モヤモヤするだけで、ずっと何もしないまま大学4年生に。卒業後は社会人。
もう最後のチャンスかもしれない。自分の尻を叩いて申し込んだ。
1人で突っ込んだから、かなり緊張した。でも皆さん優しく、自然と打ち解けられた。
そこで出会ったお方。60代くらいの男性。南三陸で明るく出迎えてくださった、私が参加したボランティアの主催者(ここではAさんと呼ばせていただく)。
Aさんは会っただけで、「来て良かった」と思わせてくれるような力をもった方だった。
事あるごとに「どう感じた?」と聞いてきて、自分の思いを言葉にして伝えることの大切さを教えてくださった。作業方法や役割分担を参加者に委ねて、主体的に動くことの大切さも教えてくださった。
そして、震災の悲しい現実も教えてくださった。お話ししてくださる話が現実だとは信じられなかった。今でも本当は信じたくない。でも生きている私たちは受け止めて、そこで起きた事実と自分が感じたことを忘れてはいけないと思った。
Aさんのおかげで、私の心は動いた。
ボランティアを悪く言われてもいい、ただ参加せずに言うのは違った。やらない理由を並べていただけだったと気づいた。何も役に立てなかったにしても、よく思っていない人がいても、「知る」ことができて良かった。テレビの前で呆然とするだけでは何も知ることはできない。
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帰宅後、Aさんから電話がかかってきた。「俺のこと、どう思った?」と聞かれた。
私は正直に答えた。「明るい方だと思ったけど、まだ心のうちを隠してる印象を受けた」と。
そしたら、「誰もそう言ってくれなかった。初めて気づいてもらえたよ」と、心なしか嬉しそうに言われた。その後、Aさんが抱えていることを少しだけ打ち明けてくださった。
ボランティア活動の時は明るく振る舞っていらっしゃったAさん。でも、残酷な現実を目の前で見続けて、辛い思いをされてきた。亡くなった方々に申し訳ないと強く責任を感じて、その思いに縛られてきた。生きられなかった方々がいるのに、食事をすることも、寝ることも、娯楽で楽しむことも、生き残ったことさえもすべてが申し訳ない。まだ冷たい海の中で苦しんでいる人たちがいるのに……。
幸せに好き勝手生きてきた私には、到底理解できない悲しみと苦しみを味わっていらっしゃった。そんな私の言葉はどの言葉を遣っても綺麗事になってしまって、怒らせてしまうかもしれない。ただ言葉が詰まって頷くしかできなかった。
でもどうしても伝えたかった。「Aさんは幸せになるべきだ」と。もう私はやらない理由を考えたくない。
また電話がかかってきたときに思いきって伝えてみた。少しでもAさんに日常を取り戻してほしいと思った。その架け橋になりたいと本気で考えていた。Aさんのように誰かを救える人間になりたい、と。
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それから半年ぐらい過ぎて、電話がかかってきた。久しぶりに会おうとのこと。何度も私の思いを伝えて、一緒に楽しい日常を過ごしてみようということになった。
Aさんが10年近く避けてきた、誰かと一緒に楽しく過ごすこと、一緒にご飯、一緒にカラオケ、一緒に街歩き。とっても楽しかった。その日以降、頻繁に電話がかかってくるようになった。
でもその時期私は、卒業研究で夜まで研究室に残る日々を過ごしていた。研究中も何度か電話がかかってきた。
始めのうちは研究室から抜け出して電話に出ていた。でも研究に遅れが出てしまうし、疲れていたから気づかないふりをするようになった。23時過ぎに家に着いて、電話取れずすみませんと一言ラインを送ると、すぐに電話がかかってくる。早くお風呂入って寝て、明日に備えたいのになかなか切れない。それが2日おきくらい。正直きつかった。
このまま社会人になっても連絡が頻繁に来るのは耐えられないと思い、未読無視を続けた。その後、「私にはAさんを悲しみから救える強さはない。投げ出してごめん」といった内容を送ってすぐにブロックしてしまった。
Aさんが傷ついてしまうのを受け止めたくなくて、怒られるのが怖くて、ただ、逃げた。自分の自己満足のために人を利用した。自分は最低な人間だ。あれほど恐れていた「偽善者」に成り下がってしまった。
それからしばらくは、テレビで東北という言葉を聞いたり、海を見たりする度、罪悪感に苛まれて、どうすれば良かったんだろうと自問自答を繰り返した。誰かを救いたいなんて思ったことを後悔した。
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それから1年ほど経った今、自分勝手だけどあの時距離を置いて良かったと思っている。
たぶんあのまま日常に疲れながらAさんと連絡を取っていたら、私を変えてくれた恩人であるAさんのことを嫌いになっていたかもしれない。南三陸に行けなくなっていたかもしれない。
実際、私はまた南三陸に行きたいと心から思う。自分を変えてくれた場所にもう一度行きたい。弱い自分はあの時あの手段しか取れなかったと思う、情けない話だが。
南三陸に赴いたとき偶然会ったなら、怒りも悲しみも受け止めなくては。受け止められるよう強くならなくては。社会人として日常に揉まれながら強くなって、過去の自分の過ち、弱さを受け止められるほど強くなりたい。
もしこの文章を読んでくれたなら……。
あの時はごめんなさい。
私はあの時と変わらず弱いです。
だからまだ直接連絡を取る勇気が出ません。
いつか強くなってみせます。辛い現実に向き合い続けたAさんのように。
Aさんにいただいた言葉、感情は今も胸に刻んでいます。
お体にはくれぐれもお気をつけて。