好き!大好き!世界一好き!
小学生の頃から、誰よりも姉のことが好きだった。
家の人に手紙を書こうという授業があれば、たいていの人は両親宛だったが、私は姉に書いた。私の中で姉は特別な存在で、なくてはならない存在だった。
今でも姉のことが大好きで仕方ない。離れて暮らしてはいるが、月に一回は必ず会い、互いを可愛がり合って抱きしめ合う。側から見れば、滑稽な姿かもしれないが、姉と抱きしめ合うことで、私はまた頑張れる気がする。
そんな私の大好きな姉を、今まで長い間追いかけ続けてきた。幼い頃の写真を見ると、カメラのレンズではなく姉を見上げる私がよく写っていた。
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優しくて、多彩な姉に憧れ、私も姉のようなすごい人になりたいと思い続けていた。
姉がピアノを習えば、私も後からピアノを習い始めた。姉が書道を習い始めたら私も書道を習い始めた。姉が塾に行けば私も塾に行き、姉が中学受験をしたら私も中学受験をした。大会も姉が出たものは私も出ると、何をするのも姉がやり始めたことだった。これほど姉がやり始めたことを追いかけても姉は嫌な顔一つせず、私を大事にしてくれた。
それが嬉しくて、ずっと姉の後ばかりついて回った。
今考えてみれば、成功を収めている姉の後をついて回れば、自分も成功できると感じていたのかもしれない。姉がやっていることは、そばで見てきたからだいたいわかると楽に感じていたのかもしれない。
新しい一歩ではなく、姉の次を行くことは、それほど難しいことではなかった。初めてを姉が歩んでくれているため、失敗のパターンや成功のパターンがわかるものもあり、改善すべき点が把握できるものもあった。そのため、能力の高い姉よりも、私の方が高い成績を収めることさえあった。
成果が出ると、周りは褒めてくれた。新しい一歩を踏み出すことよりも、姉の後を追いかけている方が、認められる可能性が高く感じるようにもなっていた。
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でも、それではいけないと気づいた。
姉より良い成績を残していても、引っかかる違和感。私の方が能力的には劣っているのは明らかだったからだ。
そんなこと、自分が誰よりもはっきりわかっていた。いい成績を残せてよかったねと周りは言うが、違う。これは私の実力だけで掴んだわけではない。基盤を作ってくれていた姉のおかげ。お姉ちゃんよりもできるなんて思われたら、姉に申し訳ないし、そもそも姉よりできるわけではない。
歳を重ねれば重ねるほど、姉を追いかけることで成果が出ても、私の実力だと思えなくなっていた。
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私は、私の道を歩まないといけない。
正直、新しい一歩を踏み出すことは怖かった。成功する保証はないし、失敗のパターンも身近にはない。でも、私は私なりにできることを探し、姉の後ろではなく、先頭を立って歩み出した。
失敗し悔しい思いもした。やってみて、自分には向いていなかったと気づき、時間やお金を無駄にしたこともあった。うまくいくことよりもうまくいかないことの方が多かった。
でも、だからこそ、自分で歩み出した一歩で小さな成果を得たとき、これは私がつかんだ成果だと誇らしく思えた。たとえ小さな小さな成果だったとしても。
今、姉と離れて暮らすようになって、私は一人でも前を向いている。姉の後を追いかけなくても、姉がやり始めたことを後から追いかけてやらなくても、私は人生を謳歌している。
新しい一歩は不安な時もあるが、初めて見る世界は新鮮で、うまくいかなかったとしても踏み出した一歩に大きな意味を感じた。人生まだまだこれからだ!
私はこれからも成長し続けて、小さな成果を積み重ねていく。