植物が発芽するには酸素と水、適切な温度が必要。さらにそれが育つには日光もなければならない。小学生の私は、意外と植物って欲張りなんだと思った。
道路の僅かな割れ目の、僅かな土に運良く辿り着いて、雨が降って、少しばかりの栄養と排気ガスだらけの空気を吸って、それでも綺麗に咲く。花とはそんな健気さを持ち合わせたものだと思っていたのに。
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大学に入って初めての学園祭、ステージのラストを飾ったのはダンス部のパフォーマンスだった。K-popアイドルのようなキレも、スタイルの良さも、容姿の美しさもあるとは言えなかった。けれど、私達が一生懸命設営したステージで、寒いのにお腹を晒した煌びやかな衣装で、黄色い声援を浴びて、濃すぎるメイクをした彼女達は輝いていた。
こういうのを、華があると言うのだろうか。
舞台裏の仕事を既に終えていた私は、人気のない校舎の2階からそれを見ていた。
ここには風が吹かない。寒くない。ステージだって、背の低い私にはここからの方がよく見える。音も大音量だから十分聴こえる。
裏方スタッフを示す黒いパーカー。同じものを着た仲間と呼んでいいはずの人が、舞台袖にも、観客席にも、うじゃうじゃいた。
私からはみんなが見えるのに、当たり前だが、誰にも私は見えていなかった。太陽を向く向日葵のように、観客は面白いくらい同じ方を向いて、同じように音楽にのっていた。
私だけが、花になれない地味で硬い種のようだった。
私もあの寒空に降りればよかったのだろうか。そうすれば私だって花になれたのだろうか。
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刺すような空気。むしろ乾いていく喉。寒すぎる気温。とっくに沈んでしまった太陽。
そんな中で彼女達が何を糧にしたのかなんて考えられなかった。ただ、花が咲くには種も仕掛けもなければならなくて、何もなくてもいいなんてそんなわけはないのだということは考えなくても分かってしまった。
小学生の時に受けた植物の発芽・生育条件が思い出された。
上位20%以内の成績で、同級生に頼られても、特待生になれるほどの優秀さはない。
国際的な中高に通ってそこそこ英語が話せても、あっと思わせるほどの発音の良さはない。
周りの人に容姿を褒められることはしばしばあっても、道ゆく人が思わず振り返ってしまうほどの特別な魅力はない。
私の流派の茶道には周りの同年代の誰よりも詳しい気はするけれど、誰もそれには興味がない。話しても伝わらない。
今まで唯一誇れた料理だって、次第に大人としてできて当然になりかけている。ただでさえバランスや彩りを意識しながら大抵の料理は作ることができても、食べた人を感動させ、その味が忘れられなくなるほどのものは作れないのに。
周りは私をすごいと言ってくれる。そして忘れたり去っていったりする。きっと、私が何もかも中途半端だからだ。
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私は変わらないのに周りはどんどん変わってゆく。芽が出て、いつか花が咲いて。いつか枯れるとしても、芽さえ出ない私と比べてどちらがましか。
枯れても土に還ってまた生き返るのだろう?そうして輪廻転生の環の中でずっと生きてゆけるのだろう?
私はそれを見るだけだ。
一番にならなくていい。ただ、誰かに胸を張って自分を誇れるだけの何かが欲しい。そうすれば私も芽を出せる気がするから。
2023年、その何かを見つけたい。