外国へ行くと、大体の人間が大きな変貌を遂げて帰ってくる。

メガネをかけた内気な女の子が、一年でサングラスに白Tジーンズ、そして前髪かきあげちゃったり、何の変哲もない男の子が英語ペラペラですっごくかっこよくなって帰ってきたり。
そんな大きな変化はないまでも、外国人の友達が増えた今年、自分の中に大きな変化が起こった。

◎          ◎

元々私は自分が好きではない。
とてつもなく嫌いというわけではないけれど、自分って最高!そう思えるほど好きではないし、生まれ変わったら別の人になりたいと思う。
見た目に関して言えば、158cm50kg弱、肩幅も狭く華奢なシルエットは、これぞ日本人の標準体型といった感じで特徴がない。
黒に近いダークブラウンのストレートの髪、それの同じ色をした目。
白くも黒くもない肌色に、これまた濃くも薄くもない眉毛やまつ毛たち。
これらもよく言えば標準的、悪く言えば個性のない見た目でどうしても好きになれない。
自分の"嫌い"を消す為に、8センチヒールは絶対。
しっかりと塗った赤いリップと、毎月高いお金を払って装着するバサバサのまつ毛。
これらのおかげで、ようやく自分が人の前に出れるレベルまで辿り着く気がする。

中身に関してもそう。
八方美人が故に気を遣いすぎてしまうのも、自分の意見をはっきり主張できないのも嫌。
いい人でいたいからといつも必要以上にニコニコしてしまうのも嫌。
そのせいでいわゆる変な人に好かれて、必要以上にストレスを感じる生活も嫌だ。
嫌だけれど結局相手を傷つけないよう気を遣った結果自己嫌悪に陥る。
もう何年もこのループの繰り返しだ。
中身に関してはどう考えても手の施しようがなく、自分の"短所"として受け入れていた。

◎          ◎

そんな私に友人たちは、「もっと自分に自信持って」だとか、「自分を大切にしなきゃだめだよ」と言いい、それに対して、「言ってることは分かるけど出来ないんだよ」と、返した。
みんなの言っていることもよく分かる。
理屈としては。
けれど、人見知りしたりしなかったり、身長が高かったら低かったりするように、自己肯定感というのはそう簡単に上がらなかった。

今年に入って、海外での就職を目指すべく外国人とコミュニケーションが取れる場所に多く出向いた。
要は喋ったもん勝ちという考えのもと、自分の英語力向上だけを目的に、ひたすら人間の輪を広げていった。
そうして出会った外国籍の友人たちのおかげで、私の考え方が少しだけ変わった。

国が違えば勿論見た目が違う。
ナイスバディなアメリカ人の女の子は、日本では標準的な私を見て、小さくて子供みたいで可愛いと言った。
かなりきつめなウェーブヘアの黒人の女の子は、私のストレートヘアを見て羨ましいと言ったし、青い目をしたヨーロッパの女の子は私の目を、映画で見るような目だといった。
逆に言えば私は彼女達のセクシーな見た目も、いかにも外国人といった髪型も、同じく映画見たいと思える青い目だって羨ましいと思う。
けれど、彼女達は私のコンプレックスだった平凡すぎる部分を、「特別だ」と褒めちぎった。
男の子だってそう。
私のはっきり主張しないところを「自分の国にはなかなかいないよ。みんな主張が強いから」と褒めてくれたし、彼らの行き過ぎと感じるほどのレディーファーストにお礼を言うと、「そんな小さなことまでお礼が言えて素敵な心だね」と褒めてくれた。

◎          ◎

日本人に褒められると、見た目も中身も近いせいか、気を遣われてるんだなあとしか思えなかったのだけれど、外国人に褒められると素直に受け取ることができる。
だって彼女達が持っていないものだから。
黒いストレートヘアーも、茶色い目も、華奢な体も彼女達は持っていないし、彼女たちはわたしに憧れても私にはなれっこないのだ。
日本人の中にいると埋もれてしまいがちなこの普通すぎる見た目が、実は特別なものでみんなが羨むようなものなんだと。
まあ、そんなことを言い出すと逆も然りで、私が手足の長いセクシーな青い目の女の子になんてどう努力したってなれっこない。
確かに外国映画で見る強く逞しい女の子達を見慣れると、私はかなり控えめで女の子らしく見えるだろう。
そう考えると、私って実は万人の中の1人なんかじゃなくて、みんなが羨むものを持ってる人間なんだって。
だんだんそう思えるようになってきた。
そうすると自分が少しだけ好きになったし、「自分なんか」そう思っていた場面でも、「自分だから」そう思えるようになってきた。

"自己肯定感をあげよう"
ずっと言われてきたことだけれど、きっとみんなは出来ていることだけれど、でもずっと私は出来なかったけれど、思わぬ形でその壁を打ち破ることができて、自分を少し好きになった自分の成長を褒めてあげたい。