ずっと正解が欲しかった。
どう生きればいいのか、誰かに決めて欲しかった。

子供時代は、どう振舞っていれば正解かを嗅ぎ分け、いつも優等生扱いをされていたように思います(嫌な子供だな)。
勉強ができて、皆と仲良くして、何でもよく頑張っていれば、褒めてもらえました。
いい学校に入って、いい会社に入れば、皆に「すごいね」と言われて、社会的地位みたいなものが手に入ることも分かりました。
それが正しい生き方なんだと、長らく思っていました。

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そんな私に、人生の転機が訪れました。
大企業で自分は皆についていけなかったのです。
世界で一番大好きな人と結婚しても、幸せになれるわけじゃないと知ったのです。
そんな経験を通して、私の世界は音をたてて崩れていきました。

ちゃんと言われた通りにしてたのに。
ちゃんといい妻でいたのに。
ちゃんといい会社員でいたのに。
私が求めるものはここにはなかった。

その時にやっと気がつきました。
私がやりたい、と思うことが、私にとってのある意味の正解だと。
そして、私は何より、自分ではなく、世間や他人の作り上げた正しさを信じていたのだと。
誰かにこれをしなさい、こうありなさい、こういう生き方をしなさい、こういう人間でいなさい、と言われたそれをこなしていた頃には気づけなかったのです。
私には感情があったということを。
夢があったということを。
私には思考する脳があり、思い通りに動かすことのできる手足がある。私はなんだって出来るじゃないかと、私は私のことをちっとも見ていなかった、私自身を信じるということを忘れていたじゃないか、と気づくことができたのです。

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今の私は、自分のやりたいことができる時間を毎日確保し、夢だと思っていたことにも挑戦しています。
以前はなぜ、やりたいことをやるということができなかったのか、もう思い出せませんが、今の私は人のリクエストにばかり応えていたあの頃より遥か遠くへ来てしまいました。
あの頃の私も、苦しかったのだと思います。
色々な葛藤があったのだと思います。
でも、あの頃より遥かに今の方が幸せです。
だから、私の人生に転機をもたらしてくれた様々な試練に、今は心から感謝しています。

とはいえ、今だって悩み事がゼロかと言われたらそんなことはありません。
長年思い悩んでいることはあるし、小さなことでメンタル崩壊することだってあるし、今も昔と変わらず弱いままです。
きっと、これからもずっと未熟なんだと思います。

ずっと成長過程。でも、止まることはない。
自分が望み、勇気を持って人生に向き合う限り、ずっと変化し続けるし、望むことはいくらだって出来る。
勇気を持って私が私を信じる限り、私は成長し続けることが出来る。

そう思います。

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もうすぐ1年が終わろうとしています。
去年の今頃に悩んでいたことを、私は乗り越えました。
きっと来年の今頃、今の私を思い出して、懐かしいな、あんなことで悩んでいたんだなと笑ってくれていると思います。
そう思えるのは、今、私は私を信じているからです。

これからも素敵な自分でいたいし、素敵な人生を歩んでいきたい。
他の誰でもなく、自分自身を信じることを忘れずに。