「三谷は尊敬できる人見つけると、プラスの影響受けるからね」
一緒に絵本を作っている相方に、LINEでのやりとりで言われた言葉。本当にそう……。わかってるねー!と1人画面を見ながら頷いた。

今年は、今までで1番文章と向き合い、書き続けた1年だった。それの原動力はいくつかあるが、私の豆腐メンタルが崩れにくくなったのは、尊敬する「推し」への「憧れ」によるものだったように思う。

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幼い頃から絵本や新聞を作るのが好きだった。しかし、今の活動へと続くスタート地点は大学生の頃。文芸サークルに入り、コンスタントにエッセイや詩をメインとした文章を書くようになった。
就職してからはとぎれとぎれになったものの、書くことはやめなかった。それは書くこと自体が好きだったのと、心のどこかで物書きになるという夢が捨てきれなかったからなのだろう。

退職し専業主婦になったことで、より「やらねば」という気持ちが強くなった。
以前までは「働いているから」という言い訳ができた。しかし、今はパートもせず子どももいないので、フリーな時間がたくさんある。買い物や料理、家計の管理など家事労働はしているが、同じ屋根の下で暮らす夫を見ているうち、「私ってなにやってるんだろう」と悩むことも多くなった。
彼は仕事に熱心で、かつ成果を出すことができる。さらに他の分野への興味関心も高く、進んで勉強するような人なのだ。前から知っていたはずなのに、劣等感はどんどん強まっていた。

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「私もやらねば」と、以前からやっていたnoteの投稿に力を入れるようになった。
しかし、理由にかかわらずメンタルが下降気味になると、文章と向き合うのが難しくなった。「別に私が書かなくてもいいんじゃないの」とやけになることも多かった。
そんな不安定さを自分でも持て余していた頃、ある「推し」ができた。そしてその存在が、私の背中を押してくれるようになったのである。

彼はプレイヤーでもある一方、脚本や演出も手掛けるものづくりの人でもある。その人のことを知れば知るほど、「ただ見ていたい」という感情を瞬く間に超え、尊敬・憧れの存在になった。私も彼がやっていることを少しでもなぞりたくなった。彼の努力を見るたびに「私もやらねば」と思った。以前と言葉こそ同じだが、より前向きな気持ちが詰まっていた。

彼が使っているのと同シリーズのノートを購入し(ただのファン)、毎日開いた。苦手意識のあった物語にも挑戦し、だんだんその面白さに気づくことができた。本や動画で発想や構成の方法を積極的に探し、読書量も意識的に増やした。そして公募関係にも積極的に挑戦した(ちなみにその中のいくつかは、夫が教えてくれたものである。彼の応援にも応えねばという気持ちも、原動力の1つだった)。
始めたことは多いが、量としてはまだまだ。しかし去年と比べると、「文章を書く」ということに向き合っている瞬間は確実に増えたのである。

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そんなある日、その経過を知らない相方から「どうしたんだ?最近調子が良いみたいだけど?」と声をかけられた。テレビを見ていたときにふと新しい作品の構想が浮かび、直後にその提案の連絡をしたときのことだった。憧れの人ができた、と答えると、冒頭の言葉が返ってきたのである。
その構想のみで判断したのか、それ以前の言動も含めてなのかはわからないが、変化が周りにも伝わっていることが嬉しかった。

伸びしろが多い状態でスタートした2022年。しかし、2023年に停滞するほど伸び切ったわけもない。あれもこれもとやったことで後回しにしていた細かな部分を少しずつ回収していきながら、より貪欲に時間を費やしていきたい。そしてもちろん、「推し」のご活躍も、時間の許す限り見守っていくつもりだ。