最近よく聞く「自己肯定感」という言葉。
ざっくり言うと、ありのままの自分を認める・肯定する感覚、といったところだろうか。
私は自己肯定感は高くない方だと思う。

基本的にまず「私なんて」という考え方が来るし、自分よりも相手の意見を優先する。
小学生の時には自分の意見を母親に話すとだいたい直されて、そのまま学校で話すと友だちから否定されたり変な顔をされたりして何が正しいのか分からなくなったこともあった。
同じような経験が積み重なると、やがて自分の行動は自分で決めるよりも人の意見に従った方が嫌われたり怒られたりしないだろうと思うようになり、友だちや親の意見と顔色を窺うようになってしまったのだろうと思う。自分の意見は自分の中に忘れるまで秘めておくのが当たり前だった。

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中学校の定期テストでは、98点だと残りの2点を取れなかった自分をまず責めた。それは、母親が私のテストの結果を見てそこそこに褒めた後、「あとの2点はどうして間違えたの?」といつも私に尋ねたからだろう。
私の親は毒親と思いたいわけではないが、自分が大学で教育を学び、今は児童福祉施設で働きながら児童心理について学んでいると、当たり前だと思っていた母親の言動は、けっこう私の自己肯定感を下げていたのではと思ってしまうことが時々ある。
当時はそんなに困らなかったが、年齢が上がってから苦労することが増えた。

高校生や大学生、社会人1年目では自責がエスカレートし、完璧主義な性格が相まって何度もうつ状態になってしまった。
新卒で小学校の教員になったが、校長や学年主任からはなかなか頑張りを認めてもらえずに失敗する度に責められ、自分でも前向きに考えられずに自分を責めた挙げ句、うつ状態になってしまった。
「考えすぎだよ」「もっと楽に考えようよ」と言われても難しかったし、「かわいいから大丈夫」「そんなことないよ、優しいんだね」とか「私はいなくなってほしくないな」と言われてもなかなか信じられなかったし、むしろ自分の気持ちを受け入れてもらえてないのかなと疑ってしまうほどだった。
恋人ができても、自分のことを好きでいてくれる相手のことを信じられなくなってしまい、何度も、何人もの相手を傷つけてしまった。自分のことを責めてばかりのかわいそうな女に魅力を感じられないのは当然だとも思う。

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新卒1年目で体調を崩して仕事ができなくなってしまってから、自己肯定感が低いことでかなり生きづらさを感じていたのだと初めて自覚した。
このままの自分から変わりたい。自分のことを少しでも好きでいたいし、自分だけは自分の味方でいたい。
そんな気持ちである日、古本屋さんに立ち寄って「自己肯定感を高める方法」と書かれた本を手に取った。とりあえず手当たり次第に自分の生きづらさの原因を調べようと思った。

1日1章ずつ本を読んで1週間で読み切った。その本にはワークも付いていて、自分のこれまでの経験を書き出したり、見方を変えて考えたりすることを通して少しずつ自分の考え方や捉え方について見直すことができた。相手や事実は変えられないけど、同じ事実に対して自分の捉え方を変えるだけで自分の心を守ることができると分かってからは、自分の気持ちがだいぶ楽になった。

実際に職場の人や友だちと関わる中でも、本に書いてあった「自分軸で生きる」という言葉を思い出して、相手の反応や感情に振り回されないように気をつけた。また、自分の感情をノートに書き出して自分の本音を表に出すようにし、ため込まないようにした。自分でできたと思うならそれでいいし、嫌だと思うことは悪くないと思うようにした。

こうして他人に下げ続けられた自己肯定感を、20代に入って少しずつ時間をかけて自分の力で押し上げることができていると感じる。

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以前はできなかったところに注目しがちで、それができるようにするには……と考えることが多かった。しかし自分ができたことや頑張ったことに注目することができるようになってからは、自分の頑張りを自分で認めることができると、それだけで満足感が得られることに気付くことができた。
自分を俯瞰しているもう1人の小人が「今日も頑張ったね」「明日頑張ればいいんだよ」「ちゃんと自分で決められたね」と話しかけてくれるような感覚だ。

とはいえ、自分を責めたくなってしまうことも当然ながらある。いつも見方をポジティブにできるわけではないが、ポジティブに考えることができる機会が圧倒的に増えた。
今振り返ってみると本当に大きな成長だと思うし、それが自分で行動して得たものだと思うと自信になる。あの時本を読んで行動してよかった。行動すれば自分を変える機会を得ることができるんだと思った。
これからも、ネガティブが見え隠れする自分も認めつつ、ポジティブに変換する癖をつけていきたいと思う。