30歳の誕生日まであと1ヶ月。何気なくこの10年を振り返るかと思っていた。
しかし、実際は過去と現在の男性関係をすべておさらいするのに忙しい1ヶ月だった。
手元にあった野菜を取りあえずミキサーに入れて作った青汁よりも、苦い。苦くて渋い1ヶ月だった。

好きな人から選ばれなかった、私の必死の恋

私は今でも友達に、彼氏だと紹介できる人はいない。
20代前半、大学の同じサークルの同期に片思いをしていた。彼のバイト終わりに私の家で一緒にご飯を食べ、彼が好きなドリップコーヒーを食後に味わいながら話をする。そんな落ち着いた時間が幸せだった。
苦手な料理も、彼のためにと彼が好きな和食を中心に練習した。「うん、おいしい」。その一言で私は溢れんばかりの笑みをこぼしていた。
食事の後、ゆったりとした時間の中で私は何度か告白しようとしたものの、そのたびに彼は家へ帰っていった。彼とはお互いに辛いことも、嬉しいことも共有できる間柄だった。まさに人として尊敬と信頼していた。

だが結局、彼が恋人に選んだ人は同じサークルの友人だった。友人は私が彼に恋をしていたことは知らない。私と彼を男女の枠を超えた友人だと認識し、彼の愚痴をこぼしていた。その愚痴を聞きながら、「私ならそこも理解して付き合えるのに」と悔しがったのは数知れない。

この失恋をきっかけに、私の恋愛観は著しく自己肯定感が低いものとなった。
「あんなに信頼し合っていた人とさえ、恋人になれなかった。私は男性から愛されないんだ」
その思いが刷り込まれ、数年後には不倫セフレ沼という人に言えない関係を持つことになる。

自己肯定感の低さから、都合のいい女になっていった

突然だが、私は27歳12ヶ月まで処女だった。理由は単純で、初めては付き合った人としたかったが、彼氏が出来なかったから。
当時の私には相手の欲求を満たすために会っているセフレもどきがいた。このセフレもどきには後に結婚する本命の彼女がいて、私は完全に遊びだった。私の初めてを重んじて最後までせずにいてくれたのだが、「私のことを抱こうと思う人はいない。まして好きでいてくれるなんて」その思いから、自身の処女をこのセフレもどきに捧げた。
自己肯定感が低いままの恋愛観は、精神的にも肉体的にも都合のいい女を作り上げた。

30歳を間近にした失恋。1年半ほど前から、月に1度のペースでデートをしていた男がいた。体の関係を持ったのは数回だけ。基本的には1日デートか、ランチデート。それぞれの地元でデートをしたこともあった。
お互いにシフト制で休みが重ならない中で、なんとか時間を作って会っていた。食べ物の趣味も、お金や家族の価値観もお互いに共感する部分が多く、何時間でも一緒にいられた。誕生日にはお互いに物欲がないからと、相手の好きな料理を奢った。

私自身、付き合っているとは認識していなかった。勿論私はしたかったが、相手には遠方にセフレがいて、そのセフレの話をされることもあった。「セフレと付き合うことは一生ない」。そう豪語していた。
私はセフレではなく、彼に自分を選んで欲しかった。彼に他の女性ではなく私を愛していると言われたかったのだ。ひたすら待っていた。

「相手に期待しすぎ」。友達の言葉で視界が開けた

そんな彼と4ヶ月、音信不通になった。そして人づてに聞いたのは、「セフレを妊娠させたから、セフレと入籍する」という知らせだった。
悔しくて、憎くて、呪いたくて、それでも好きで。そんな気持ちを男友達に打ち明けた。気を使った慰めよりも、忖度のない意見が欲しかったから。
「お前が相手に期待しすぎてたんだ」。その一言で泥のように淀んだ視界がスパッと開けた。

私は自分で自分を認められない気持ちを、恋愛で相手に求めていた。自分で自分に向き合って、自分を認めて愛すべき部分を他人に強く期待していた。私の恋愛は、相手を見ずに、自分の自己肯定感を満たしてくれる存在を求めていたのだ。

明日から30歳の私へ。これからの私は、自分で自分を幸せにするよ。