私は生まれた土地から出たことはない。いや、小さい頃は父の転勤の都合で東京に少し住んでいたことはあるけれど、私はまだ幼稚園児だったし、おぼろげにしか覚えていない。確か1年か2年で戻ったから、その年数を除けばずっと私は同じ土地で暮らしている。
1人暮らしをする際も一切、他の土地に移り住もうとは思わなかった。まぁ家族の事があったからなるべく近くに住むことにしたんだけど、たとえ家族のことが無かったとしても同じ結果となっただろう。
私の住む街は住みやすい街ランキング上位なのだと知ったのは成人してからである。
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仕事も転々としていた私だが、長く勤める際は同じ地域の職場を探した。この地域の人たちの感覚は基本的に丁寧で穏やかである。きっと私も同じような感じだろう。
個々個人の性格は勿論存在するけれど、土地全体の気質というのに人は段々と影響されていく。同じような感覚の人たちに接客応対するのは気持ち的に安心する。
そんなわけで、生活のほとんどを『ふるさと』で過ごしている私。イマイチ『ふるさと』という言葉がしっくりこない。
『ふるさと』と聞けば遠い場所の様に思う。帰りたいけど帰れない遠く寂しい恋しいイメージが湧くのは古い刷り込みのせいだろうか。大切にしたいと思いながらないがしろにしてしまう家族のような親近感も持つ。ノスタルジーで素敵な言葉だけれど、私には縁が無いように感じてしまう。
いつも一緒にいるから当たり前のようになってしまうことは、人でも物でも起こる現象だ。私も『ふるさと』に対してそんな感情を持っている。だけどそれでは育ててくれた街に対して失礼だ。良い機会なので、少し思いと記憶を巡らせてみようと思う。
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まず、この地域の春夏秋冬は穏やかである。雪が沢山降ったり水が干上がったりはせず、気温と植物が季節の移り変わりを教えてくれる。
春には川沿いの桜が満開になり、昔はそこに屋台が出たりしてみんなで花見もした。梅雨時期にはアジサイがいっぱい咲いて、大きなぼんぼりが川を彩る。
夏は色んな家でヒマワリが咲いて玄関とかに飾られていて、夏休みに入れば小学生の子たちの朝顔も一緒に横に添えられている。
秋には広葉樹やもみじが色づいて、イチョウは小さい頃から臭い木と呼んで銀杏を踏まないように慎重に歩いた。
冬は木が真っ裸になって寂しいところに電飾が飾られたりして、人工的にピカピカ光ったりした。
なんとも穏やかで幸せな土地だ。家族に言っても誰もピンとこないけれど、私はこの土地の春夏秋冬の薫りが好きだ。
具体的にどんな薫りかと聞かれれば困るのだけれど、それぞれで薫りが違う。薫った時に共通することは、強烈に懐かしい気持ちになったり心が震えると言っていいのか、とにかく強烈に走り出したくなったり、そんな気持ちにさせられる。
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土地が変わるとこの薫りも若干異なるけれど、この衝動のような感情はあまり変わらない気がする。ただこの土地の薫りは嗅ぎなれているから安心する。
今はご時世上マスク生活だからなかなか薫りを感じることが少ないけれど、胸が苦しくなったり落ち込みそうになったら、私はマスクを少し外して深呼吸をする。この土地の空気にめい一杯縋って甘えるのだ。
というわけで、振り返ってみたら私は案外『ふるさと』を愛していて、結構甘えていることが分かった。地域ボランティアとかやったことないし、この街への貢献度は低いけれど、生かしていただいている街に恩返しができるなら何か始めてみてもいいかもしれないな、なんて思った。