私は、ふるさとを知らない。
穏やかな町で育った。山に囲まれ冬はとても冷え込むが、夏には川の水が心地良い。そこにはしらさぎが佇んでいて、日暮れには夕日が鮮やかに川の水面を赤く染める。
特産品は野菜。仕事は農業か林業か自営業。平均年齢はちょっとお高め。でも、みんな元気。隣の家のおばちゃんは、お着物と三味線のお師匠さん。何年経っても変わらない。とにかく、典型的な田舎町をイメージしてもらえばほとんど正解です。
ちなみに16時30分を知らせる音楽は、あの有名な童謡「ふるさと」。それが鳴り響くころ、河川敷には桜の花びらのような耳をした地域猫たちがいまだにのんびりと眠り、その隣を虫取り網を持った小さな子や、スーツを着たサラリーマンの姿や、長年寄り添ってきたのか息ぴったりな夫婦が走っていったりする。
私は生まれ育った町が大好きだけど、「両親の生まれた国」を知らない
美しい町だ。懐かしい空だ。昨年から大学進学のため町を離れてしまったけれど、大好きなことには変わりない。私は便利さよりも、豊かさが好きみたいだ。
そんな町を思うとき。ここは私の「ふるさと」ではないということが、とても淋しく感じることがある。
両親は異国生まれで、たまたま日本で働いていたところ「同郷」だと知り親しくなり、結婚した。そして子どもたちが生まれ、つまり私ときょうだいはここで生まれ、ここで育ってきた。
私は19年間生まれ育ってきた、育ててもらったこの町がとっても大好きで懐かしくて、将来はこの町に戻って働きたいと考えている。
だから自分の「ふるさと」はここではないという両親の教えが、息苦しく感じた。自分の心と、アイデンティティーがわからなくなってしまった。
だからそれを探す旅に出ることにした。
1年前、高校3年生の初夏に日取りを決め、生まれて初めて「外国」である「ふるさと」やそのあたりを巡ることになったのだ。
両親の母国である「ふるさと」を巡る旅を計画していたけれど
が、その春、新型コロナウィルスにより外国はおろか、県外に出ることもままならなくなった。初めての経験に期待していた分、失望も大きかった。本当なら今ごろ飛行機の中にいたのに……と思いながら、部屋に籠っていた。
ここでは「ふつう」と違う私を、「ふるさと」ではどういう風に見るのだろう。「ふるさと」の人たちは私を受け入れてくれるかな。ことばは完璧ではないけれど、「ふるさと」に行くために勉強してきたから、いろんな人とたくさんコミュニケーション取れたら良いな。でも、やっぱり不安だな。
けれど私は、写真と両親の話でしか知らない「ふるさと」を、この目で見てみたい。
私を育ててくれた優しい町と私が思いを馳せる町。ふたつのふるさと
小さな部屋の中で、おさまりきらない感情がどんどん広がっていった。窓から外には美しいふるさとの景色が見える。この時間も、幸せだと感じられた。
私には、ふたつのふるさとがある。ひとつは、私を育ててくれた優しい町。もうひとつは、私が思いを馳せる町。
「ふるさとは、遠きにありて思ふもの」
詩人・室生犀星のことば。
私のふるさとたちは、遠くにある。けれど、いつも忘れないよ。
……でも、そろそろ帰りたい、帰ってみたいなっ。