最近、一日の流れが遅く感じられる。

例えば、転職してもうすぐ2ヶ月が経過するが、すでに3、4ヶ月は経過したのではないかと思ってしまう。プライベートでも、1ヶ月前に友人と美術鑑賞とディナーを過ごしたリッチな休日が、より昔の出来事ではないかと錯覚してしまう。
なんでだろう、と少し考えてみた。

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ここ2、3ヶ月を振り返ると、時間と気持ちにゆとりを感じる場面が増えたと思う。仕事面では、業界の都合上、土曜日も出勤しているが、その分平日に休みがあるため、週5日連続勤務をすることはない。週半ばの「少し疲れたな」と思うタイミングで休日を迎えている。その休日でリフレッシュし、翌日また出勤するのだ。

休日は充実と余白を兼ね備えている。週末が休日だった頃は、世間の休日と完全一致していたため、くつろぎたいと思ってカフェや美術館に行ったとしても、人が多かった。人混みを避けようと予定を練って行動することが常で、予定通りに動くことにパワーを注ぎすぎた。そのせいで、癒されたかどうか体感できなかった。
今は平日の休日を使って外出をし、娯楽のために多くの人が移動する週末は家で過ごすようになった。人混みで気分が左右される私にとって理想的な休日を今、実現していると思う。

きっと、社会の流れや一般化された行動パターンに受け身ではなくなったからかもしれない。週末休みの人々が多い中、休みをずらしたり、休日の行動パターンを少し変えたことで、流れの緩急に所々逆行している。
給与面や人と会うタイミングなど、引き換えになってしまったこともあるが、今のところ何とかやっていけている。人と違う生活をしているという世間体をほとんど気にしていない。

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長年、私は朝型で少し忙しいくらいが丁度いいタイプだと思っていた。昔から早起きが習慣化されており、学生時代も朝に取り組む勉強や作業の方が進捗も出来もよかった。そのため、早く出勤したら、残業しそうな仕事を先回りして終わらせたり、通勤ラッシュアワーの人混みを避けられると思い、その生活を1年ほど過ごしていた。
しかし、どんなに朝早く家を出ても人の多さや座席争奪戦に巻き込まれてしまい、会社に着くまでに疲れを感じていた。そのせいか、帰宅後の趣味や習慣に時間を費やせずに眠りに着くようになった。残業は予期せず発生するため、実質12時間くらい仕事に費やしていた日もある。

また、何もすることがない時間を少しでも感じると、そこから動けなくなってしまうことに気がついた。平日も休日も予定を意識しながら行動していたため、その反動でふとした瞬間に何もできなくなってしまうのだ。
気持ちが落ち込んでいくに連れて、思考停止状態のスパンが短くなった。休日が思考停止で埋まった日も少なくはなかった。

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今は職場の規則に合わせて、朝の出勤時間を今までより2時間近く遅めた。その分、家を出るまでの間に勉強をしたり、気持ちを高める趣味に触れている。また、持て余してしまった時間にも悲観的にならなくなった。何なら、第三者が関与しない限り、休日は自分の気分や体調に合わせて予定変更している。その代わり、熱中する時間や第三者が関与する大事な場面は、とことん集中する。
自分が選択したことは早く終わってほしいと思わない。たまにそう思っても、いずれ没頭してしまう時期がくるのだ。

だから、自分が選択したことで毎日が埋められていき、時間の経過を長く感じるようになったのだろう。日々を何となく過ごしたくない私には、今のスタイルが合っている。
年齢を重ねるほど1年があっという間に終わる、という言葉を何度も耳にしてきたが、どんな行動を選択するかによって感じ方は変わるのかもしれない。必死で走り抜ける短距離競走よりも、ペースを操りながら景色を見渡せるマラソンがいい。

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ここ数ヶ月間で思考やライフスタイルを見直し、改善を試みた。それが今の心地いい状態に辿り着いたことは、私にとって大きな成長かもしれない。

ところで、年齢を重ねると時間が早く感じるということは、幼い頃は時間が長く感じると言える。今では考えられないが、小学生時代の私は「ひま〜」が口癖だった時期があった。
「暇な時間ができたっていうことは、子ども返りしちゃった?!」と一瞬思った。しかし、そんな時間を「余白」や「ゆとり」と言い換えられるようになった点は、確実に大人になったと自負していいだろう。