人は簡単には変わらないとよく言うが、わたしは、人はすぐに変わると思っている。
呆れるくらい簡単に変わってしまうものだと思う。
わたしはこの1年でコロコロと考え方が変わって感情の振り幅も変わった。
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1年前は色んなことに怒っていた。
理不尽で避けようのない悪意や暴力、年齢や性別や育ってきた環境によって決定される人生、誰かが死にそうになっている横で誰かが得をするシステム。
何もかもが許せなくて腹立たしく、それなのに何もできないことへのやるせなさが悲しくて仕方がなかった。
こんなに酷いことが次々に起こる世界で、わたしの生活自体は満たされている、という乖離も辛かった。
外に目を向けなければただ幸せである、という事実が受け入れられなかったのだ。
だからこそ、一刻も早くこの理不尽に立ち向かう行動を起こさなければ、わたしはわたしのままではこの国にいられなくなってしまうだろうと感じていた。
何もかもに神経質になり、テレビやネットの中の遠い誰かだけでなく、顔を合わせる友人や親戚など身近な人のちょっとした言葉にさえも傷ついて、家に帰ると怒って泣いたりしていた。
苦しかったなあ、と思う。
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今、こうやって振り返ることができるのは、このどうしようもない問題やそれに対する感情を聞いてくれる人たちがいたからだ。どうにもならないことをそういうものだと終わらせないで、一緒に怒って嘆いてくれたから。
本や漫画や映画の中に、わたしと同じように絶望して泣いている人がいたから。それでも優しさを失わずに静かに闘い続ける人を見てきたからだ。そしてその物語の向こう側にいる人たちのことを信じることができたから。
大切な人たちとたくさんの言葉を交わして、大切にしている物語からたくさんの言葉をもらって今のわたしがある。
そうして守ってもらったから生きてこられた。
今だって怒るし、時々は、絶望的だな……などと大げさに頭を抱えてみたりしているが、わたしはわたしの生活の中でできることを少しずつやるしかない。
手の届く範囲の人は、大切にしたいし、大切にしていることを伝え続けたい。
これが何になるんだ、と言われればそれまでだが、困っているかもしれない人に気付ける人でありたい。電車や飛行機では、幼い子供を連れている人と近くの席であるように願っている。
そんな風に街を歩くと、人に声をかけることが多くなった。わたしのできる地味で小さいことが増えて欲しい。
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たった1年でも色んなことが変わった。自分ではそれを成長と呼ばないが、間違いなく変化してきたし、今だって変化の途中にいるのだなと思う。
それでも変わらないのがきっと軸になるところであって、それは想像力で、想像力はどんどん膨らませることができる。
想像力が膨らめば膨らむほど、人に優しくなれるはずだ。どうやって人を大切にすれば良いのか、今よりもう少し分かるようになるはずだ。それは揺らぎやすくて、時に大切な人さえも傷つけてしまうわたしにとって必要な希望なのだ。
だから辛くなってやめたこともあったけど、過去や今の出来事を知ることや、物語を観たり読んだりすること、人と関わること、そこから何かを受け取ることを自分のペースで続けていきたい。
そして変化していく自分も、誰かの変化もそのまま受け止めて、またそこから一緒に歩き出せたらいい。