実家には10cm以上雪が積もっているらしい。ここにはまだ初雪すら降っていないというのに。華やかに彩られ、クリスマスソングが流れるこの街中に、雪はちらとも降っていない。
地元の方はホワイトクリスマスだと羨ましがるだろうか。とんでもない。あの雪は呑気にロマンチックだなどと見惚れていられる類のものではない。
私の地元が瀬戸内海に面した広島だと聞くと、大抵の人は穏やかで温かな海を想像する。冬でも暖かそうだと。
でも私は声を大にして言いたい。瀬戸内も寒いですよ、と。小田舎の住宅街は毎年積雪がすごくて、私は学校に行くのも一苦労でしたよ、と。
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私は私立の中高に通ったということもあって、同学年で近くに住んでいる人はいなかった。在学生のほとんどがJR通学の中、雪で遅れやすい、止まりやすいバス通学だったことも災いした。毎年、雪が降ると決まって私一人だけが1時間以上遅刻した。
やっとの思いでゼエゼエ息を切らしながら教室に入ると、雪によるバタバタがとっくに過ぎ去ったみんなが、今さらかといった顔でさめざめとこちらを振り向くのだ。
学年が上がるにつれて、それはまたかといった顔に変わっていったが、どちらにせよ、街灯が灯ったまだ夜かと思うような暗闇の中家を出て、3時間以上かけて登校した私にはあまりにもひどい仕打ちだ。
しかも、一向に進まないバスを諦めた私が歩くのは平坦な道ではない。雪が誰かに踏み固められてスケートリンク化した山道を、杖代わりの傘を使って滑り降りるように下っていくのだ。
そのおかげか初めてスケートをした時の上達の速さは周りが驚くほどだったし、まだやったことのないスキーにしてもきっと、ストック使いはすぐに習得できると自負している。
一方、一人暮らしの私が今住んでいるところは平坦な土地で、雪も降らない。住みやすい場所だ。
けれど、なぜかあの雪の不便さが恋しくなる時がある。
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小学生の頃、雪かきがてら近所の雪を集めてかまくらを作ったり、雪合戦をしたりした。近所のおばあさんやおじいさんには感謝され、真っ赤にかじかんだ手に、搗き立てのほの温かいお餅を持たせてくれた。ひとしきり遊んで帰ると、母がココアを淹れてくれた。市販の粉を溶かしただけのものだったが、あの味は格別だった。
中学生になり、山道を滑り降りながらふと顔を上げると、私と同じように落ちてゆくサラリーマンが何人かいた。他人事ではないのにそれが何だかおかしくて、顔が綻んでしまうものだった。
雪の日は地元民の結束がいつも以上に感じられるようだった。笑い事ではない大雪の中で笑ってしまいたくなるあの感覚が、私は嫌いではなかった。
雪国ほどではないけれど、ネタにできるくらいに苦労させられ、楽しませてくれた雪。ここには降らないのが少し残念だけど、もうすぐ帰省するからすぐ会えるね。ただ、くれぐれも交通機関をストップさせて、大荷物の私を困らせないようお願いします。
天気予報はここ数年で一番の大雪だけれど。