「大晦日の夜はさ、今年の振り返りと来年の抱負をそれぞれ発表し合おうよ」
夫の提案に乗った、去年の年の瀬。
TV画面の向こうでは紅白歌合戦で盛り上がっている中、私たち夫婦はすき焼き鍋をつつきながら過去と未来を語らった。
◎ ◎
「この先何年経っても、2022年は絶対に忘れられない1年になっていくんだと思う」
開口一番、私はそう言った。
会社員からフリーランスへ、働き方を大きく変えた。
安くはないお金を払って、キャリアスクールへ入会した。
結婚して、名字だけではなく住む場所も変わった。
大きな出来事の連続で、2022年はまさに怒涛と呼ぶにふさわしい1年だった。
「それで思い返すと、ほぼほぼ全部勢いによる行動だったんだよね」
「全部?結婚も?」
たっぷりの溶き卵に牛肉を浸しながら、じとりと彼がこちらを見る。慌てて言い直そうとしたけれど、よくよく考えると言い直す必要はそんなに無いのかもしれないとも思った。
「だって、最終的には『まあとりあえず籍入れちゃうか』みたいな感じだったじゃん」
「まあこいつでもいいか、みたいな?」
だからそういう意味じゃないってば、と私もじとりと彼を軽く睨む。とはいえ、食卓に流れる空気はあくまで平和だ。じとじと視線を送り合いながらも、近所のスーパーで半額で手に入れた牛肉を「おいしいね」と言い合いながらひたすら頬張る。
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「今年1年は、目の前のことをとにかく一生懸命やってきた。立ち止まってちゃ駄目だと思って、がむしゃらに動いてきたんだよね。考えるより行動、みたいな」
箸の間からつるつる滑り落ちるマロニーと格闘しながら喋る私と、リスみたいに頬を膨らませながらもぐもぐしつつ聞く夫。
「目の前にあるタスクを丁寧に1つずつこなしていくのも確かに大事だけど、いっぱいいっぱいになっちゃってたんだよね。余白が、全然なかったなぁって。特に仕事においてね」
右も左も分からないまま、私はフリーランスライターの世界へ飛び込んでしまった。少しずつ業務委託の仕事が獲れるようになってきたものの、計画的に挑んだというより、「とりあえずやってみよう」という猪突猛進的な行動だった。
「行動するのも確かに大事だけど、ただ身体を動かすだけじゃなくて、来年はもうちょっと頭を使っていきたいと思うの」
話しながらも、まだまだぼんやりしているなと自戒を込めて思う。でも、はっきりとした輪郭を伴わせるにはもう少し時間が必要だ。
曖昧な話ぶりにもかかわらず、それでも夫は黙って話を聞いてくれた。
「今のままでいいとは思ってない。同じ場所にずっといるだけじゃ駄目だって思ってる。自分が本当にやってみたいこと、書いてみたいもの……そういうものに時間を割けるようになりたい。それに近しい情報とかチャンスを逃さないために、あえて余白を作って、その余白が未来の自分との継手になるようにしたい」
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私は昔から、数年後の自分を想像するのが酷く苦手だった。そこに自分がそもそもいるかどうかも分からないのに、という厭世思考が常に働いていた。そんな何に対しても投げやりだった私にとっては、今その瞬間を一生懸命生きるという行為も十分花丸をあげたいものではある。
ただ、厭世思考を取っ払って生きていく覚悟がついた今は、さらにその先のフェーズに進んでいかなければいけないのだと思う。
今を生きるのはもちろん大事だ。でも、それは未来を見据えての行動であらねばならない。
ふいに、教習所に通っていたときのことを思い出す。
教習車を運転する際、私はいつも「視線が近すぎるよ。もっと先の道を見て」と隣に座る教官から注意されていた。言われるたび、そんなこと言われても逆に目の前が視界に入らなくなっちゃうから怖いよ無理だよ、と心の中で震えていたものだ。
でも、視線の先にある道は、今目の前にある道と地続きだ。いつだって。
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「頭を使う、余白を作る、か」
新年の抱負にしてはやっぱり漠然としているなとは思ったものの、夫の顔には「いいね」と確かに書いてあったと思う。ちなみにその時は、夫もマロニーと格闘していて案の定煮汁を飛び散らせていた。いつこちらにその汁が飛んでくるかと随分ひやひやした。
そうこうしているうちに、あっという間に迎えてしまった2023年。
どんな1年になるか、全く想像ができない。
でも、今年の大晦日もすき焼き鍋をつつきながら、「2022年よりも戦略的に動けた1年だった」と堂々と夫に言える1年にしていきたいとは思う。
そして最後に、忘れてはいけないこと。
今年も、ここ「かがみよかがみ」でたくさんのエッセイを書いていきたい。
自分の瞳(め)を通して映る世界。
綺麗なものも、綺麗じゃないものも、自分だけの言葉で丁寧に掬っていく。