2022年はプライベートでも仕事でも色々なことがあった。
1年を一言で表すなら、「苦」という文字が最初に思い浮かぶような年だった。
その中で見えてきたのは、いつも何かに依存して、自分を肯定してくれるものだけを選ぼうとする自分の弱さだ。
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学生時代はテストがあって部活があって、自分で考えなくてもある程度上達するためのやり方が確立されていたから、ただひたすらにそれに打ち込めば良かった。
だからそれなりに勉強も部活も結果を出せて、周りからも「優等生」だと言われていた。
でも、新しい会社に転職して約1年、そんな自分への期待もバラバラに砕かれた。
前の会社は金融系で古い体質の会社だったから、目の前の仕事を淡々とこなして、上司の顔色を伺いながら行儀よくしていたらすぐに役職につけた。周りは20〜50代まで幅広い年齢層がいたが、みんな「仕事は辛いもの、しんどいもの」と考えているようで、お金をもらうためだけに働いているというような感じだった。失礼な話かもしれないが、正直そういう周りの人たちを見て、「こうはなりたくない」と思った。
3年目に差し掛かって、この会社でしか通用しなくなる人間になるのではないかという漠然とした不安を感じ、思い切ってベンチャー企業に就職した。
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新しい会社で、就活の時には自信がなくて避けていた営業をやることになった。入社前から多少の覚悟はしていたが、営業のスタイルが属人化されていて育成方法も固まっていない状態でキャッチアップしていくのはなかなか難しかった。
まだ入社して半年も経っていないのに、実績が出ないからと言って一旦営業から外され、役割もない状態で雑務をやっていた時期が3ヶ月ほど続いたこともあった。最終的には営業に戻ったが、周りの人ほど商談の機会も与えてもらえず、周りの人より格段に低い予算目標を一度も達成できずに終わった。
また、プライベートでも自分の意志の弱さから元夫を傷つけてしまい、離婚することになった。
今、私は人生の岐路に立っているんだと思う。
上司には「やり切る力」が足りないと言われた。元夫からも「そんな自分勝手な奴が、仕事で他人を幸せにできるのか?」と言われた。
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私はこの一年で、ぬるま湯の中で培ってきた自己肯定感や自己効力感というものをほとんど失った。
それは誰のせいでもなく、自分の至らなさ故だと思う。
そんなことを思いながらも、未だに誰かのせいにしたがる自分もいるが、このままだったら自分のできる範囲で満足してそれ以上大きく成長できず、いつも何も成し遂げられない自分になってしまう。
今、そんな恐怖と闘っている。
思えば「充実感を覚えた出来事は何か?」と聞かれても、パッと思いつくものがない。それは頑張っているように見せかけて、いつもどこか自分の限界を決めて『それなりの水準』を維持してきたからだと思う。
挑戦して失敗するのはダサいと思っていた。だから胸の内にある目標を語ることもしてこなかった。
こんなにもうまくいかないと思うことが初めてと思うほど、うまくいかなかった1年を振り返ってみて思うのは、「挑戦して失敗するのはダサい」と思っていた自分がダサいということだ。
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学生の時、自分が思い描いていた社会人としての将来像は今の自分とは程遠い。
本当はもっと気丈に振る舞って、うまくいかないからとクヨクヨせずにどうしたらできるかをひたすら考えて進み続けているカッコいい人になっているはずだった。
でも、今の自分はクヨクヨしてばかりで、言い訳して自分で自分の足を止めてしまっている。
そう気づいているのなら今すぐにでも動き出せば良いと思うのに、思うように気持ちが進まない。
でも、そんな自分はもう今年限りで置いていきたい。
新年に淡い期待を抱きながら、この文章を書いている。
来年は弱い自分とおさらばして、高いヒールをコツコツ言わせながら颯爽と歩くカッコいい大人に一歩でも近づきたい。
3歩進んで2歩下がっても、ちゃんと一歩進んでいる。
そんな自覚を持ちながら着実に自分らしく前に進んでいく。