子どもを産み、専業主婦になった。刻一刻と成長する我が子との日々は、何にも代え難い。3歳になるまでは、保育園へ入れずに家で育てたい。そんな私のこだわりを実現できたのは、賛同してくれた夫のおかげ。とても感謝している。
しかし、自身の稼ぎがないという状態は、想像以上に私を卑屈にさせる。養わせてしまって申し訳ない、と夫に対して常に負い目を感じている。
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今年の春から、子どもは幼稚園児になる。ならば私は、アルバイトかパート、もしくは正社員目指して就活か、と思いきや。
その前に2人目の出産をしなくてはならない。
元旦。妊娠後期になり重くなった腹を抱え、近所の神社へ行き初詣をした。
息子が健やかに成長しますように。お腹の子が無事に産まれてきますように。普段より少しだけ上の硬貨をお賽銭箱に投入した。
産まれたら。この子の3年間も、専業主婦をして一緒にいたい。でも、あと3年間も耐えられるだろうか。
保育園に入れれば働けるけど、その選択肢を取らない。働くことが義務であるこの国で、どうしてもずる休みしている気になってしまう。共働きや専業主婦について、SNSなどで定期的に取り沙汰される。専業主婦なんてありえない、という意見ばかり心に残ってしまうのは、私のメンタルが卑屈なせいなのかもしれない。
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どんどん物価が上がっている。給与は増えない。教育費をどうやって捻出するか。老後の資金なんて、とてもとても。
別に、一生働かないと決めてる訳ではない。たったの3年だ。それも、未就学児の間だけ。ただ、これだって3歳児神話に囚われているからだ、と卑屈にも思ってしまうのだが。3歳になるまで、母親は子育てに専念しなければならない。成長に悪影響が出るから。そういう思想があるらしい。
実際、子どもが産まれるタイミングで退職すると決めたとき、結構な数の人に母親になるならその選択は正しいという言葉をかけられた。私の母や親戚、当時働いていた職場の年配の方々。
絶対、そんなことない。3歳未満で保育園へ通う子どもが、どれだけいると思っているのか。というか、我が素晴らしき夫だって1歳早々から保育園通いしている。身近に反例がすでにいる。
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色々と進展のない思考が卑屈さを加速させる。けど、これらは他者の価値観に振り回されているだけだ。専業主婦がありえないのも、3歳児神話も、私の日々の生活に全く関係がない人が言っているだけ。
自分軸で、前向きに生きたい。
我が子と過ごせる、その事実だけで最高じゃないか。ずっと一緒にいられる時期なんて、他にないのだから。子どもを預けて働くより、私にとって価値のあることだった。そしてそれが実現可能だった。それだけのことなのだから。
毎日の息苦しく、生きているだけで辛い気持ちは、そう思えば薄くなる。消してしまって楽しく機嫌よく生きる方が、私も家族もみんな幸せだ。
2023年。自分の生き方、選択に自信を持とう。他ならぬ私自身の価値観で、一番いい状態になっている。今を楽しみ、未来も明るく捉えよう。