2022年は、多種多様な文章を書けた年だった。失敗と成功のどちらもあったが、私にしては積極的に活動したし、前進もできたかなと思える1年だった。
今年はよりエンジンをかけて、さらに挑戦を続けていきたい。そう思っていた。
しかし、初詣で引いたおみくじにはこう書いてあった。
「ないものを得ることより、今あるもので楽しむ方が良い方向に向かうでしょう」
ちなみに仕事運は、「色気を出さないように注意しましょう」。

◎          ◎

え、大丈夫? ガツガツするなってことですよね……? 総合的に見ると悪くなかったし、むしろ安定した1年になりそうだと、結ばずに持って帰ってきたのだが、文章と仕事の観点から考えるとこれはどうなんだろう。
困ってしまったので、家に戻ってから「色気を出す」を調べてみた。もしかしたら、思っている意味と違っているかもしれない。

「ある物事に欲求をもったり、関心を示したりする」(日本国語辞典 小学館)
「ひょっとしたら上手くいくのでは、という下心を持って身の丈に合わない(分不相応な)ことに手を出すような状況を表現する言い方」(Weblio辞書)

どうしたら良いのだろう。前者だと興味を持つのすらダメそうだが、後者は条件付きでOKという雰囲気がある。
……個人的には後者で考えたいのだがどうだろう(どうと言われましても)。しかし分不相応というのが難しい。一体、どこから分不相応になるのだろうか。

◎          ◎

そう考えていたとき、ある物事が身の丈に合っているか否かを見極められる目線が必要なのかもという思いに至った。

私は自他ともに認めるコツコツタイプだが、戦略を立てるのは苦手。今できることをがむしゃらにコツコツやっているだけで、やらねばならないこと以外の難しそうなこと、やったことがないことからは目を背けることもある。そんな意気地無さを覆い隠すために、がむしゃらにやることだってあった。
昨年はそれを少し打開して新しいことに挑戦できたが、自分の能力値に照らし合わせて判断したかと言われると、たぶん違う。「わかんないけどいってしまえー!」と、気持ち的には清水の舞台から飛び降りるようだった。

自分の力量を客観的に判断するのは難しい。特に、私は謙遜しすぎてよく卑屈になる。
調子に乗っていると思われたくない、結果が自分の想定よりも思わしくなかったときのショックを軽減させたい……そんな思いから、気持ちや言葉にマイナスのフィルターをせっせとかける。
フィルターの有用性も否定できないが、削減の見直しは大いにすべきだと思う。少なくとも、自分で自分を縛り付けてしまっている場面においては。

◎          ◎

身の丈を意識しすぎると、それこそ清水の舞台から飛び降りるような大胆なことはできないかもしれない。しかし、実はちょっとした段差だったのに自分で崖を作ってしまっていたという徒労や、二度と戻ってこれない深みに飛び込む恐れが減るのは、精神衛生上的にもいい気がする。

今あるもの、それには技術やツールだけでなく、課題も含まれている。それらを全部ひっくるめて、成長の糧にしていきたい。