2020年の4月、わたしは社会人になった。
西暦の下2桁から、20引けば社会人としての年齢。死ぬまで、こうやって覚えていくのだと思う。死ぬまで、社会人として生きていくのだろうか。

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社会人としては0才だったとき、わたしは躓いた。たぶん、生まれる前からヨロけていたのだろう。仮面舞踏会みたいな就職活動への嫌悪感と、「会社」や「社会」を結びつけて、それらを同時に拒絶した。上っ面で評価されたくないなんて文句を言って、うまくやろうと努力もしなかった。
正直、今も「選考」や「面接」ときくと、体がすくむ感じがする。選ぶ、選ばれる、受け入れられる、拒絶される。
就職はご縁だと、頭では理解している。それでも、拒絶されるのは怖い。自分なりにもがいてもがいて、晴れて社会人になった年、心は擦り切れ、失くなってしまった。3か月で、仕事を辞めた。

どん底だった。
生きていくためには働かなければならない。お金が必要なのはもちろん、社会の大多数の人間が働いている間、何ひとつ生産的な活動をしていない自分は生きていてはいけないと思った。
先の見えない8ヶ月を過ごして、少し体力が回復したタイミングで職を得た。なんとか手に入れた、もぎ取ったという方が近いかもしれない。

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おそるおそる働き始めて、社会人1才になって、2才になった。
働き始めてしまえばあっという間。仕事の内容は変われど、職場も、同僚も、生活スタイルも複製したように同じ。それはそれで気持ちが悪いなと思うけれど、これが社会なのだろう。
ひとりの生きた人間が、替えがきく人間になっていく。文字通りお先真っ暗だった頃よりはずいぶんマシだけれど、「みんなと同じように働けている」という甘美な充足感で、脳細胞が死んでいく。


1才のわたしと2才のわたしは、0才で負った怪我を引きずり働いた。何もできなかった頃と比べたら、いわゆる市場における自分の価値は上がっていると感じる。
でも、傷は癒えていない。痛いと喚く数は減ったけれど、確実に思考回路を変えて、行動を変えた。ネガティブな思考が土台にあることを、1日に何度も思い知らされる。
傷つく前とあと、どっちが本当の自分なのかもう分からない。だけど今年は、傷だらけで歩いてきた3才の自分と、向き合いたいと思っている。

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2023年、社会人のわたしは3才を迎える。赤ん坊だったら、幼稚園に入園するのだろうか。正直、今の自分に大きな目標を強要しようとは思えない。2024年を迎えるわたしが、今より少しハピネスな感じでいてくれたらいい。職場なのか、暮らす地域なのか、ほかのコミュニティなのかは分からないけど、生きやすい場所に出会ってくれたら嬉しい。

変化は怖い。腰が重い自分にとっては、ものすごく億劫でもある。だけど、わたしがわたしらしく生きるためには、少しずつ、より好みの環境へ擦り寄っていくしかないのだろう。
そんなわたしを、わたしが1番応援している。幸せになってほしいと願っている。思い描いた社会人人生ではないけれど、一生そうして、生きていくのだと思う。