薄雲が空一面をおおっていて、明るいのになんだか目にも寒々しい、そんな冬の日。この色をした空を見るたびに思い出すことがある。君は、同じようにあの頃を思い出すんだろうか。できたら、忘れたまま幸せでいてくれたらいいな。

根拠のない不安は私を飲み込み、静電気に弾かれたように君を拒絶した

まだ10代半ばだったあの頃の、優しさをたたえた君の視線に対して、今でも謝りたいと思う。ごめんなさい、自分のことすらよく知らないまま根拠のない不安に飲み込まれて、君と君のまごころを拒絶してしまったこと。揺れうごく自意識を抱えた思春期の心が、想いを向けた人からの前触れもない拒絶でうける鮮烈な痛みは、簡単に想像できたのに。

ことばを紡いで思いを確かめ合ったわけじゃないけれど、かすかに触れ合う指先の温かさや、背中に添えた手のひらや、分け合ったひとつのドリンクや、柔らかく下がった目元が語っていたように、あの特別な関係は確かに存在していた。

毎日一緒に登校していたのに、深くて複雑なことばを交わしたのに、突然静電気に弾かれたかのように側にいられなくなった。顔すらまっすぐ見られなくなったわたしに、君はとても驚いたようすで、なんとか話をしようとしてくれていた。「自分が何かしたんだろうか?!」、「誰かに何かを言われたのか?!」、そう思いを巡らせていたんだと思う。君がうろたえたのは当たり前だ、わたし自身にも理由が分からなかったんだから。

わたしはといえば、恥ずかしさに圧倒されていて、それと同時に漠然と怖かった。わたしは自分の容姿が、変わりゆく自分の身体が気持ち悪かった。黒い感情に身体を乗っ取られたように、制御がきかなかった。

そこから、わたしは君にどういう態度をとったんだっけ。正直、そのあたりは記憶から抹消されてしまっている。気づいたらわたしの見ている景色に君はいなかった。

「わたしのような人間が」誰に言われたわけでもないのに聞こえる声

あの拒否行為は、心理学の用語で「蛙化現象」と呼ぶらしい。自己受容ができなかったり自己効力感が低い人間が、自分に向けられた好意を気持ち悪いと感じてしまう現象のことだ。拒絶する側も、嫌悪感がどこから来るのかよく分からないうちに行動に走ってしまう。最近たくさんのメディアでこの文字をみるようになったおかげで、ことばにして理解することができた。

確かに自分の心の奥底をのぞいてみると、「わたし自分が好きになれない自分自身を、好きになる人がいるわけがない」とか、「いたとしても、そんなセンスの悪い人をわたしは受け付けられない」という気持ちがあった。

恋は、可愛くてキラキラしている、クラスの中心にいる子達専用のお楽しみ。陰がお似合いの子たちは、そのイメージに合った役割を演じるべきだ。教室から、メディアから、どこからともなく発せられるそんな空気感を自分自身で敏感に受け取り、内面化してしまっていた。

「わたしのような人間が、好き好かれるなんて、ふさわしくない。」
誰かに直接言われたわけでもないのにそんな声が聞こえてきて、耳をふさぎたくてどうしようもなかった。

不安やコンプレックスの根源は、未だに君とすごした教室の匂い

もうすぐ生きて30年にもなるというのに、あの頃見上げていた大人のイメージには全然たどり着けていなくて、不安やコンプレックスの根源は、未だに君とすごした教室の匂いをはらんでいる。

他人に比べたら遅まきかもしれないけれど、やっとわたしも自分の身体と心をもって世界に対峙する覚悟ができた。自分を好きになるまでには至っていないものの、自分の有様を自分で受け入れることはできるようになった。だから、君に謝りたい気持ちも、やっと言葉に出来るようになった。

わたし側の切実な理由を、傷ついた君に理解してほしいわけじゃない。いまとなっては名前も憶えていないひとたちの好奇の目や噂話や笑い声を気にするばかりに、大事なひとを拒絶し、孤立感を味わわせてしまったのは、はっきりとしたわたしの落ち度だから。

わたしは君のことが好きだったよ。ただどうしても、自分のことが大嫌いだっただけ。君がすべて忘れて、幸せに生きていてくれたら嬉しい。

万が一、君が時折あの時のことを思い出してしまうとして、万が一、思春期の心理現象について目にすることで何か憑物が落ちるとして、その一縷の可能性を捨てたくなくて、今この文章をしたためています。