私は20歳の大学2年生だ。私はいわゆるHSPというやつなのだと思う。常に周りの目を気にしては、自分の行動に一人反省会を繰り返している。
そんな自分が嫌で嫌でたまらなくて、でも変えられなくて。誰か共感してくれる人がいないかと、ある日無意識にブログアプリを開き、ブログを投稿したことがある。普段こんなことを考えてしまう、とか自分を変えたい、とかそういった内容を殴り書きのように書いた拙い文章であったと思う。
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そのブログアプリには、いいね機能があった。もちろん私が書いたものなんていいねがもらえるどころか誰も見てはくれないだろうと思っていた。
それでもよかった、文章にすることで落ち着くような気がしたのだ。
しかし通知が来てスマホの画面を見ると、「〇〇さんがいいねしました」の文字があった。
驚いた、嬉しかった。気づけば40近くのいいねが付いていた。
私は、私が嫌いな自分のことを誰かが認めてくれたような気がした。変えたいと思っている私を、応援してくれているように感じた。共感してくれる人がいるような気がして、安心した。
そう感じたのは、その拙い文章が私そのものだったからだ。私の頭の中をそのまま覗かれているような感覚だったからだ。文章力などかけらも無いようなあのブログを読んでもらえたことは恥ずかしかったけれど、それでもありのままの自分を受け入れてもらえたような気持ちで嬉しさの方が何倍も大きかった。
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文章を書くということはどういったことなのだろうか。自分の頭の中や胸の内を誰かに共有したり伝えたりすることだと私は思う。だから自分が書いた文章を誰かに見られるのは、少し勇気が必要で、照れくさいものなのだ。
それから自分の頭の中を整理できるもの。自分の言葉で、文字に、文章にすることで今自分が何を考えていて、どうなりたいのかが自然と浮かんでくるような気がする。
今まで文章を書くときは、できるだけ良い文章を書こうとしてしまっていた。自分が知っている中でできるだけ難しい言葉を使ってみたり、誰かによく見られるように意識したり。
でも今は、そんなことをしても良い文章、おもしろい文章は書けないと知った。自分を取り繕って、背伸びして書いた文章は、自分の本当の声ではないからだ。
嘘を並べた文章では誰の心にも刺さらない。ありのままの、等身大の自分をそのまま書くことが重要なのだと思う。
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私はこの経験を得て、日記を付けるようになった。その日の出来事、感じたこと、忘れたくないものを自由に書いている。そこにルールはなく、書きたいものだけを、自分の言葉で書く。日記を付け始めたことで、前より自分のことを理解してあげられるようになった気がする。きっと毎日頭の中を整理しているからだろう。
文章を書くことは自分を写し出すことだ。そして自分を理解できると、日々生きていく上での様々な選択もしやすくなる。
文章を書くことはあまり好きではなかった。難しいし、堅苦しさも感じていた。でも、良いことづくしではないか。もっと早く、文章を書くことの良さに気づいておけばよかったと思う。
今はいつか、私の書いた文章を、誰かに読んで欲しいという気持ちもある。
私に何が書けるのか、何について書きたいのか、まだ全く分からないし、書けるとも思っていない。けれど心の片隅にそんな気持ちがある。私は何について書きたいのか、ゆっくり、悩みながら答えを見つけられたらいいと思っている。そのために、今日も私は文章を書く。