私は誰よりも、『文章』を愛している。

昔から好きなものは変わらず、ファンタジーのようなキラキラとしたものだった。みんなが読むような大作「ハリー・ポッター」にも当然のようにハマったし、高校の頃には小野不由美の「十二国記」シリーズ、そして学年が上がると上橋菜穂子の「守り人」シリーズにも出会い、まんまと沼に落ちた私は、全巻集めてのめり込んだ。

どっちつかずの自分が何となく嫌だった。小説を書けず、挫折

けれど私には負い目があった。それは『中途半端』ということだ。ハイ・ファンタジーが好きで、リアルであればあるほど私はその世界に浸ることができたけれど、なろう系のライトノベルや、純文学にはハマらなかったので、どっちつかずの自分が何となく嫌だった。

大学生の頃、何かと時間があり余る時期にもかかわらず、私は一度も小説を書きあげられたことがなかった。書けたものは1~3万字程度の短編ぐらいで、10万字以上の長編は一度も書けた試しがなかった。私にとっては、小説家なんて無理だと神様から言われたも同然だった。さらに文才のある人間は何十編も小説を書き上げているものだという言論を読み、すっかり挫折してしまったのだ。

『未完成の傑作より完成した駄作』という言葉は、作家を目指したことのある人の間ではよく知られている言葉だと思う。その言葉は私の心を挫くには十分であり、いかに面白いストーリーを思いついても、完成されたラストに持っていけなければ、まるきり意味がないのだと悟った。

ブログで少しでも誰かの役に立てると思うと、生きる活力が湧いてくる

それからというもの、何となくSEなら手に職をつけられると思い目指したものの、プログラミングの勉強が自分に合わず難しかったため、挫折。そのままずるずるとコロナ禍の中でやりたいこともなく、仕事も決まらないまま日々を無為に過ごすことになった。

そんな崖っぷちの25歳にできることといえば、毎日ブログを書くことだった。最近は毎週2、3記事程度と頻度が落ちていたが、また毎日ブログを書くようになった。1円も稼げないけれど、何もしないよりはマシだと思い、日々エッセイやコラムを書き綴っている。

少しずつフォロワーが増えて、コメントも貰えるようになると、どんどんやりがいも出てくる。半端者でただのファンタジー好きなだけの自分が、ブログを書くことで少しでも誰かの役に立つことができると思うと、生きる活力が湧いてくるのだ。だから私の短い人生で得た経験や知識を、惜しみなく出したいと思っている。そうして、誰かの人生がより豊かになれば良いし、私のブログを生きる糧にして貰いたいと思う。

言葉は私の武器であり、皆さんに与えられる、一生をかけた贈り物

私にとって、ブログを書くことは生きることであり、見知らぬ誰かと繋がれる手段でもある。昔の私は、夢見がちで現実離れしたものが好きで、エッセイのようにリアルな日常を描いたものが苦手だったが、今の私は大好きである。誰かの人生を覗き見ることで、自分も頑張って生きようと思える、それがエッセイだ。

私は文章を愛している。そして、そんな私を否定せず包み込んでくれる家族を愛している。一度は挫折した身ではあるが、それでも文章を愛してやまない気持ちは永遠にあるだろう。

ライターになりたいという気持ちを抱きつつ、このご時世で目立ったスキルが何もなくとも、がむしゃらに努力すれば自立して生きていくことができると示したい。それが私の使命だと思っている。読むだけではなく書き手として、心から愛している文章を、書き続けたい。

文章は『人生』だ。言葉は私の武器であり、皆さんに与えられる、一生をかけた贈り物。ひもじくても辛くても、私は私の愛する文章を書き続けると、ここに誓う。