初めて作文コンクールで賞を取ったのは、小学校2年生の時だった。まだ字も上手く書けず、丁寧な言い回しや、自分の気持ちを伝えることに苦手意識をもっていた当時の私が、「文章を書くこと」で周りに認められた瞬間であった。

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その作文は、本の感想だったり、将来の夢について書いたものではなかった。物心つく前に事故で他界した母についての作文だ。
母のことを何も覚えていない。周りのみんなにはお母さんがいるのに、何故私にはいないのか。そんな疑問を正直に綴ったものだった。
しかし、その作文に不安は無かった。私は家族や沢山の人達に愛されていると、その時既に知っていたから。その感謝を作文に込めた結果、賞に繋がったのだ。

私にとって「文章を書くということ」は、読書が好きだったり、文章を書くことが好きだったり、普段口に出せない思いを「文」として発信することに生き甲斐を感じていることだったり、文章を書くことに対する思いは沢山ある。しかし、それ以外にもう一つ、とても大事にしていることがある。
それは、天国へと旅立った母のことを文章にして、世の人達に伝えていきたいということ。身近な人達に母のことを覚えておいてほしいということ。私は何も覚えていないけど、私の母は確かにこの世に存在していたということを、沢山の人に伝えたいのだ。
「人が死ぬのは人に忘れられた時だ」という言葉を聞いたことがある。この世にはもういなくても、この世に残った母の面影を文章として綴っていく。こんなに沢山の人で溢れる地球で、誰一人思い出してくれないなんて、そんなの切ないじゃないか。
だからね、お母さん。アナタの思いを、存在を、私たちに残してくれた沢山の愛を、私がこれからも文として紡いでいきますよ。

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覚えていなくたって、母のことはいくらでも書ける。母が得意だった料理や着付けのこと、オシャレに興味津々で田舎で目立っていた若い頃のこと、私の名前を決めてくれたこと。どの写真を見返しても、母の姿は少なく寂しく感じるが、それはきっと、母がカメラを私たちに向けてくれていたからだ。それだけで、大きな愛を感じる。
その愛や母への思いを発信することも、文章を書くうえで大切にしている。常にそのことばかりを書いているわけではないが、ふとした日常で思い出した時なんかにペンを走らせている。

お母さん、あと10年もしないうちに、私はお母さんの年齢に追いついてしまいます。当時まだ1歳にもなっていなかった私も、世間一般的には「大人」と呼ばれる年になってしまいました。

成人式の振袖姿も、結婚式のドレス姿も、いつか生まれる孫の顔も見せたかった。もう叶うことない願いばかりが溢れては、涙となって流れ落ちる。その思いが消えないように、今日もこうやって書き続けるのだ。きっとこれが、私なりの親孝行になることを心の底から信じて。
私もいつか母になる日が来るかもしれない。その時、語り継いでいけるように。