6歳の頃から、私のおうちはうるさかった。おうちで常に飛び交っていたものは物と怒号で、当時小学校高学年の兄と母は毎日のように大喧嘩をしていた。やがて父が帰ってくるとそれは律儀に休戦状態へと入るのだった。

父が仕事から帰ってくる20時半まで、当時自室もなかった幼き私は二人のやりとりが繰り広げられるリビングで存在を消すように居座った。
二人の戦闘中は動悸がした。私も一人で闘っていた。毎日のように母に向かって叫ぶ兄を見て、「私はああならない。思ったことは口にしない」と幼いながらも一人心に誓った。
ただし、どうしても思うことがあるときは紙に書く。紙に思いのまま書くだけでとにかくすっきりした。もやもやした得体の知れない苦しさも雑念も、自然とどこかに溶けていく心地がした。

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それから少し時が経った頃、兄に対する嫌味を小さなメモに綴ったことがあった。
「ばか、あほ、いなくなればいい」
書いていたのはなんてない、そんなことだった気がする。しかし、次の日にはそのメモが親の手元に収められているのだった。
私は酷く怒られた。いつもは兄に向けられる怒号がその日だけは私に向いたのだ。それでも、当時野球部だった身体中筋肉たっぷりの兄から矛先を向けられるよりはましだった。当時8歳の私にとって、兄がこの世の恐怖以外の何ものでもなかったからだ。
そして酷く怒られた私は、悟っていた。いつもの兄のように今ここで叫び散らかしたところで、他人(家族なのだが)に迷惑がかかるだけであると。

その頃にはすでに自分の部屋が与えられていた私は、自室に籠った。枕に顔を埋めて、静かに泣いた。流れる鼻水を枕に存分につけた。
その時に初めて湧いたのは「どこに吐いたらいいのだろう、なんでこんなにも生きづらいのだろう」という疑問だった。私の涙の根底にあるものは、親に怒られた悲しさではなかったようだ。そして、そんな疑問はすぐに解決することもなく、絶えることなく、私が高3になるまで続いた。そしてあの「どこに吐いたらいいのだろう」という疑問はいつしか私の人生のテーマになっていた。

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それからも、私は思いつく度、どんな感情も紙に記した。リビングでガヤガヤとなる音を聴きながら部屋に篭った。机に向かった。紙とペンを出すエネルギーもない時はスマホに。スケジュールアプリを開き、その日思ったことを記した。メモアプリだと埋もれて、後から読み返せなくなるからだ。スマホで文字を打っているとブルーライトのおかげで良い具合に目が疲れ、いつの間にか眠れた。

19歳の今、私は実家を出られていない。兄は就職して一人暮らしを始めた。前みたいに怒号の飛び交うお家ではなくなった。
それでもたまに兄が戻ってくると、動悸が止まらなくなる。その度に私はわたしを静かに消している。外で友達に感情を吐露することももちろんなく、私の感情のおうちは今日も真っ白な紙の上にある。
これからも誰かに直接吐き出すこともせずに、書いて書いて書き殴る私の人生が形成されていくのだと思うと、時々末恐ろしい孤独に陥る。
それでも書き続ける中で、身につけた唯一の力。それが「小説を書く」力。
私から滲み出た感情から架空の人物を作り上げ、登場人物に私の感情を喋らせる。自由に。孤独も侮蔑も小さな幸せも。自由に。ストーリーができあがると、そこに社会ができあがる。登場人物間では、侮辱罪が存在しない。

社会、世に対する血みどろな思いは、私が言ったことにしなくてもいいということ。そうすれば誰からも怒られないということ。それが、小説を書き始めて知ったこと。気持ちが言えない人間に育った私に、今日も生きてもいいよ、たまには死ぬのもありと言ってくれる土や水が私にとっては小説だったのだ。
まあこれを書いている私も、誰かが書いた「人生」という物語の登場人物かもしれないんだけどね。