昨年の夏、念願だった富士山登山を経験した。
一昨年挑戦した時は、バスで5合目まで行ったにも関わらず、天候の悪さで引き返すという苦い経験となった。それを踏まえて昨年は、事前に何度も何度も天気を確認し、ギリギリまで見定めた上で訪れることにした。
準備万端だったにも関わらず、まさかあんなに凍えることになるとは……。

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時期は8月上旬。ベストシーズンとあって、起点となる5合目付近は混雑していた。少しずつだが外国人観光客も戻ってきているようで、あちこちから様々な言語が聞こえてきた。
還暦目前の母と妹との3人組で、準備運動をしっかりしてから登山開始。お昼前に登り始め、夕方前に8合目の山小屋へ到着する予定だった。
様々なガイドブックに書いてあった通りの進捗で、大きなトラブルなく順調に登り進めることができていた。疲れたら直ぐに休憩を取って、食事や水分補給も滞りない。5合目で1時間程身体をならした上での登山だったために、1番心配していた高山病に陥ることもなかった。

不穏な雰囲気が立ち込めたのは、山小屋到着まで1時間程となった7合目付近だった。標高が高くなるにつれて気温が落ちるのは分かっていたが、徐々に霧も立ち込めてきた。
「雨が降りそうだな。次の山小屋で雨具を着よう」
そう思った時にはすでに遅かった。

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後から聞いた話だが、よく言う「山の天気は変わりやすい」をあなどってはいけない。
察知した瞬間に対策をしなければ、痛い目を見ることになるのだ。まさしく。
霧に気がついて3分も立たずに大雨。
進行方向すら見えない程の豪雨だ。
山道であるため、どこかで雨宿りをするわけにもいかず、もう進むしかない。

次の山小屋までの約30分は地獄だった。凍えるように寒い中、足を止めてはいけない。なんとか辿り着いた無人の山小屋で雨具を装着したものの、心の中で切に願ったのは「え、帰りたい」。
なんでもっと下の山小屋を予約しなかったのか。30分早く登山を開始すれば今頃温かい場所に到着できたはずなのに。お母さんが休憩をしたいと言ったあの時に我慢すれば。
最悪なネガティヴモードになったものの、ここで雰囲気を悪くしても百害あって一利なし。
歩みを進めることにした。
雨具を着るまでの30分が地獄だとしたら、装着後から予約した山小屋までの30分は悟りの空間だった。
濡れた身体の上に雨具を着たところで凍える一方。トレッキングシューズはビショビショで、自分が何をしているのか分からない。
家族の会話は皆無で、みんな斜め前を一点に見つめながら無言で岩を登っている。
「これはなんの修行なのだろう」
「これが身体の芯まで冷えるというやつか」

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なんとか山小屋に辿り着いた時は、顔面蒼白で唇は真っ青。直ぐに夕食の温かいハンバーグカレーが提供されたが、手が凍えすぎてスプーンが握れない。
濡れた衣類を脱いでカイロを何枚も貼って18時前には布団に入ったものの、重いインフルエンザのように悪寒がして全く眠れない。
浅い眠りを繰り返しながら、ようやく日付が変わった頃に、身体に温もりが戻ってきたと実感したことをよく覚えている。

そこでお手洗いに行こうと外に出ると、目の前にドス黒い空の中に無数に輝く星々が広がった。
東京で生まれ育った私は、この29年間、あんなに星を見たことがなかった。
あれが天国だと言われたら納得せざるを得ない。
地獄から天国へやってきたのだと思った。

カナダのマイナス20度の世界よりも、マクドナルドで働いていた時の冷凍室よりも、猛烈に記憶に残っている富士山登山。
寒いというよりも凍えた経験だった。
そして凍えることで、感情も記憶も凍てつくことを学んだ真夏のさむーい体験だ。