今まで意識してこなかったけれど、私のふるさとって結構都会なんだな。
それに気がついたのは、大学生になった18歳の春である。
そして22歳になった今は、そんなふるさとにとても感謝している。

◎          ◎

私にとってふるさとは、嫌いではないが特に思い入れや愛着がある場所でもなかった。どんな場所かと聞かれると、「都会すぎず田舎すぎない微妙な場所、まあどっちかというと生活するのに便利な場所ではあるのかな……」くらいの感想しか出てこなかった。
ところがその価値観は、大学生になってすぐに覆された。

「家から最寄りの駅まで、歩くと1時間はかかるかな~」
「そうそう、あたしの地元もそんな感じ~」
進学先の大学には、地元から単身でやってきて一人暮らしをしている子や、大学から離れてはいるがギリギリ通えなくもないという微妙な場所から、毎日長時間かけて登校している子が沢山いた。そんな「地元の交通事情トーク」を聞きながら実家住まいの私は、ただただ目を丸くし、彼女たちの「ふるさと」はどんな場所なのか、思いを馳せていた。
そして、一つの考えに行き着いた。

あれ、私が住んでる場所って、ひょっとして結構都会だったりするのかな?

◎          ◎

それから4年近い月日が流れ、私は22歳になった。
大学で偶然履修した講義を通して美術鑑賞にハマり、今では月に3回は美術展に足を運んでいる。また、前々から興味があったミュージカルも定期的に鑑賞するようになった。

上記のような生活を送る中で私が実感したのは、「私の『ふるさと』って、どこか行くにしても移動しやすい場所なんだな……」ということだ。
友人は「地元では美術鑑賞なんてしようにも、そもそも美術館が近くにない」とぼやいていた。たぶん彼女の地元には、プロのミュージカルを鑑賞できる規模の劇場もない。
私、便利なところに住んでるんだな……そう思いながら、今日もお目当ての美術館を目指して移動中である。

ふるさとには感謝している。新型コロナウィルスの影響で一つの拠り所を奪われた私が、「他の趣味」を充実させられる場所だったからだ。
私は、大学生になってすぐに、ある部活に入部した。時には馬鹿騒ぎをしながらも、尊敬する先輩や同期と共通の目標に向かって突き進む毎日は本当に楽しかった。しかし、私が2年生に進級する春に流行り始めたコロナの影響で、満足に活動できない状況に追い込まれてしまった。元々の人数が少なかったこともあって、私の大切な場所だった部活は、そのまま廃部になった。
文字通り「部活大好き人間」だった私は、当時はものすごく落ち込んだ。しかし、泣こうがわめこうが、部活がなくなった事実は変わらない。

◎          ◎

じゃあ他のことを楽しもう。美術鑑賞やミュージカルに足を運ぶようになったのは、それからである。そのうち、「美術館好きなの?じゃあ今度一緒に行こうよ」という感じで、友人と一緒に出かけたり、「あのミュージカル、あのキャラが推せるんだよね」と共通の話題で盛り上がるようになった。
もし私が、美術館や劇場に行くのが難しい場所に住んでいたら、これらの「新しい趣味」を楽しめていなかったと思う。部活を失った喪失感はもっと長く続いて、私にもっと大きなダメージを喰らわせていたかもしれない。

ちなみに、廃部になった部活で行っていた活動は、校外で同じようなことをやっている団体を見つけたので、最近そちらで再開した。こんな風に、一度距離を置いてもまたふらっと戻ってこられる趣味や拠り所を、これから先も沢山持ち続けられる人でありたいと思う。
そのためにも、しばらくはふるさとを出ないで生活するつもりだ。

今の私なら、ふるさとをこう表現する。
今の自分を作ってくれた存在。すごく感謝している」と。