息をすること。
毎日ご飯を食べること。
ふわふわのお布団で寝ること。
人が生きるための行動と同じくらい大事なことが、私にはある。
スタバで自分時間を過ごすこと。
1日行けなかっただけで、果てしなく行きたい衝動に駆られる。
そのくらい、息をするのと同じくらい、私にとっては欠かせない時間だ。
緑のセイレーンに魅了されている理由を突き詰めると、10年程前まで遡ることになる。
◎ ◎
「これから受験ですか?頑張ってください!」
緑のエプロンに身を包んだレジのお姉さんが、注文のみ伝えた私に声をかける。
見慣れない制服と季節柄から推測されたその言葉は、見知らぬ土地に一人で訪れていた私にとって何より嬉しいものだった。
それまでも何度かスタバに行ったことはあったが、スターバックスブランドというものに真に魅了されたのはその時が初めてだった。
結局その時受けた大学に進学することになり、個人的に不完全燃焼な受験となったわけだったが、そのスタバでバイトしたいという信念から大学入学を決意した。
実際に、そのスタバでバイトをさせていただくこともできた。
面接で受験の時のエピソードを話すと、店長は嬉しそうに微笑んだのを覚えている。
入社した後も、あの時のエピソードを嬉しそうに話す姿が印象的で採用したと言われた。
私はスタバでバイトするのはある意味必然だったのかもしれない。
◎ ◎
スタバでのバイト期間は、お客として見ているときとのギャップに苦しむこともあった。
表でニコニコするだけが接客ではない。
見えている以上に、お客さまへのサービスを円滑に進めるべく、地味で、しかし欠かせない仕事がたくさんあることを知った。
初めて社会というもに触れた感覚がした。
それでもカウンターの前に立つお客様の嬉しそうな顔を見ることが何よりの喜びだった。
学年が上がり勉強が忙しくなったため、緑のエプロンは一年で卒業したが、お客に戻った後も私はスタバのファンとしてたまに訪れていた。
バイトを卒業し、スタバから離れた私が、息をするのと同じ頻度でスタバに通うようになったのは社会人3年目の春。
コロナと共に生きるという感覚が少しずつ社会に浸透し始めた頃、私もようやく巣篭もり生活からの脱出を試みようとしていた。
◎ ◎
コロナ発生後、めっきり行っていなかったスタバへと久しぶりに行こうと外に出た。
家の近くにある緑地公園のスタバへと、おそるおそる足を踏み入れる。
「グランデのホットのソイラテ、熱めでお願いします」
こちらに緑のセイレーン。
大きな窓ガラスから差し込む青空と暖かな日差し。
木目調のテーブルで飲むソイラテは、私の心まであっためた。
数年ぶりに、スターバックスで過ごす時間は心地よく、家で我慢して過ごしていた時には感じえなかった満足感を得ることができた。
私らしく生きる為に必要な時間だと感じた瞬間、ラテは酸素となった。
毎日スタバに行って、何をするのか?勿体ないと言われることが非常に多いが、私自身がその空間での時間を大事にしているので、そういう意見はまるっと無視だ。
むしろ自分で自分のことを大事にできて偉いだろう?と心の中で胸を張っている。
また、あの空間は思考することと非常に相性がいいようで、創作活動や読書をする私にはうってつけの場所となっている。
なんにせよ、私がいいのだからそれでいいのだ。
◎ ◎
もし100万円があるなら、全国、あわよくば世界にあるスタバを制覇してみたい。
土地ごとに違う雰囲気、そして、土地は違えど同じ信念を持って私たちを迎えてくれる彼らの心を感じにいきたい。
魅力的な店舗の多いスタバは、きっと私をさらにワクワクさせてくれるだろう。
ふと、昔、スタバにハマる前に韓国アイドルに熱を上げていたことを思いだす。
あの頃の推しへの愛に近い感覚をスタバに抱いている、と第三者の私が冷静に分析する。
いつの世も人は何かに熱中し、その想いが原動力へと変化するのだと思うと、私は案外昔から変わっていないのかもしれないと、笑みが溢れる。
そう考えながら、今日も私はいつでも会える推しに会いにいくのだ。