「ふるさと……」
ふるさとを持たない私にとって、その言葉や響きはいつも憧れだった。
◎ ◎
「夏休みは祖父母のいる、ふるさとに帰るんだ!」「Nattoの故郷はどこ?」なんて、目を輝かせて話し始める友人。
友人にとっては遠くに祖父母がいたり親戚がいる「ふるさと」が当たり前のようにあり話題になるが、私にとっては同居していたりすぐ近くに住む祖父母がいるので、「ふるさと」と言われてもあまりピンとこない。
同居していた祖父母とは毎日のように顔を合わせていたし、隣の市内の近くに住む祖父母の家にも週末よく顔を出しに行ったものだ。
「ふるさと」というほどの変わり映えのない景色がある中でも、祖父母の家を訪れるたびに「プチふるさと」を私は心に描いていた。
お小遣い、ハローキティのお菓子、外食、いつも食べないデザート、ちょっと遠出の水族館や動物園、そんな何気ない非日常が私にとっての「ふるさと」だった。
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中学生になると本格的な部活動も始まり、週末も半日は部活で潰れ、祖父母の家に行くことがグンと減った。
高校生になっても、部活もバイトもしていなかったものの、何かと理由を付けては祖父母の家に行くことを断った。
そして大学生になり、自分から家族と離れて改めて、家族の温かみを感じては寂しさを募らせた。
社会人になり地元で就職し、また祖父母に会う機会が増えた。
「ふるさと」を持たない私にとって、そんな温かみや寂しさを感じることが、私の故郷へ想いを馳せることとなった。
親戚で集まればご馳走をお腹いっぱい平らげ、クリスマスになれば甘いケーキを誰が選ぶか姉弟ケンカをし、長期休みが合えば親戚一同大家族での旅行を楽しんだ。
ことあるごとに何かがある、そんな私の「ふるさと」が、私は大好きでたまらなかった。
◎ ◎
そんな大好きな「ふるさと」が、また一気に遠のいた。
しかも、日本とアメリカの距離。
祖父が体調を崩したと聞けば私もガクンと落ち込むし、母が手術をすれば眠れなくなるほど心配になるし。
あんなこと、こんなこと、いつ起きてもいいように覚悟を決めて海外移住したはずなのに、いざ緊急事態になると私の心は全く準備できていなかったことに気付かされる。
「私の出来ることなら……」と、家族を想うことは出来ても、実際何も力に慣れていないことに無力感を味わい絶望する日々。
物理的な距離は一気に離れていたけど、それでも心の距離はいつも一緒だった。
「ふるさと」。
私の憧れた「ふるさと」は、いつも私の心の中にあったのかも知れない。
だって、心の中にある「ふるさと」を想うだけで、家族が側にいるような幸せな気持ちになれて、私は独りじゃないんだと温かい気持ちになれるのだから。
人と人との心の距離が物理的な距離で測れないように、私にとっての「ふるさと」はすぐ側に、いつも私の心の中にあるのだ。