私は田舎の漁師町で生まれ育った。そして20年間以上を暮らした地元に愛着を感じていた。
家族も友達も、慣れ親しんだスーパーも、休みの日には必ずと言っていいほど立ち寄る広いショッピングモールも、たまに行きたくなるあの立ち食いそば屋さんも、全部大好きだった。
はたまた、水着なんか着ずに海で遊んでびしょ濡れのまま家に帰ることも大好きだった。あの頃は純粋に楽しんでいたが、野生児だったななんて今では思う。

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一方で、SNSで話題になっている化粧品は車を走らせて隣の県まで買いに行くしかなかったし、テレビで見たおしゃれなカフェも当然ない。ファミレスなんて選べるほど多くない。関東にあるテーマパークに行くのだって年に1回あるかないかの一大イベントだった。
それでもあの生活を心底楽しんでいたし、地元が本当に大好きだった。

そんな私はあるときふと思い立ち、長い時間を過ごしたふるさとを離れることに決めた。
仕事がどうにも合わず苦しい時期が続き、食事をとりながら涙が勝手にこぼれたことも少なくなかった。
これは私の人生ではない、他の生き方がある、と強い気持ちが芽生え、今の生活の基盤を捨てて新しい自分を探したくなったのだ。
東京に行こうと決めた。

上京すると決めてからの行動力は我ながらすさまじく、さっさと会社を退職する段取りを取った。仕事を決めるより先に東京でシェアハウスを借りるなどして、新しく始まる生活に胸を躍らせていた。

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上京当日、見送りに来てくれた家族と友達に別れを告げて、意気揚々と新幹線に乗り込んだ。

東京駅に着いてはじめにシェアハウスの管理会社まで鍵を受け取りに行くのだが、ここが第一の難関だった。新幹線を降りてどの在来線に乗ればよいか、もっと言うとどっちの方向に歩き出せばよいか、分からなかったのだ。
新幹線に乗る前にインストールしていただけの乗換案内アプリなんて、何のヒントにもならなかった。

ここで私は、「あ、いっしょに探してくれる人も聞ける人もいないんだ」と気が付いたのだ。
これまで地元を出たことがなかった私は、道がわからないなんて場面に遭遇したことがなかった。どこか初めての場所に行くときには親が良いルートを教えてくれたし、ドライブで遠出するときには必ず友達が一緒にいた。

改札を出て、私って今ひとりなんだ、と気が付くと急に心細くなり、そこで自分が大きな節目にいるのだとやっと分かった。
ひとりで東京に来てしまった、と。

誰もいない、道も分からない、仕事も決まっていない。なんとかシェアハウスに到着して、また、食べるものがないと気が付く。近くのコンビニまで夜道を歩きながら地元の家族には「大丈夫!」と強がって連絡をしたけれど、本当は感じたことのない不安をおぼえていたことを、数年経った今でも鮮明に覚えている。

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東京での暮らしを始めて4か月ほどが経った頃。
何とか仕事に食らいつこうと必死だった私は、いつの間にか駅で人並みに早く歩けるようになっていた。
「東京のOL」に憧れて前髪を伸ばしたけれど全く似合わず、「東京のOL」にはなれなかった。

そんなある日、地元に帰省するタイミングが訪れた。久しぶりのふるさとは、何も変わらず私を迎えてくれた。
こんなに雪が降ったんだな、実家ってこんなにおいだったな、お母さんの料理ってあったかい。あれ、お父さん、こんなに訛ってたっけ。空、青いなあ。

たくさんの気付きがうまれると同時に、当たり前の日常を送っていたころの記憶が蘇る。とりわけ海を眺めたときには、「ああ、これだ。私ふるさとに帰ってこられたんだな」と、果てしなく続く水平線に人生で初めて感動した。
都会に埋もれそうになりながらもなんとか踏ん張っていた私の心。
ふるさとの空気に触れ、ひとつ、またひとつと、棘が取れていくような、そんな感触を味わった。

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東京は刺激的で流れの速い街。手を伸ばせば大体の欲しいものは手に入るし、暮らしは楽しい。けれど、私にはふるさとに戻ることも大事だと初めての帰省をして実感した。

知らず知らずのうちに固まってしまった私の心を溶かしてくれる、そんな場所。家族にしか、ふるさとの空気にしか溶かせないものがあった。
いつも通りの会話、いつも通りの景色。その尊さに、帰省をするたびに胸を打たれてしまう。
これでいい、このままでいい。そう思わせてくれる何かが、私のふるさとには詰まっている。