私には、ふるさとがない。
幼稚園のときの友だちは、500kmも離れた場所にいる。今、誰が何をしているかも知らない。
だから、20年前の幼稚園時代から一緒にいるような「幼馴染」がいる人たちを見ると、私には持っていないものを持っている感じがして少し羨ましく思う。

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なぜなら私の家は転勤族。小学校は合計3つ通った。
最初の転勤は小学校2年生の夏。
大阪から静岡へ、夏休み中に引っ越した。
大阪の小学校の運動会は秋で、静岡の小学校の運動会は春だった。その時間差によって、小学2年生の私の運動会は消滅した。
次の転勤は小学5年生のとき。母のふるさとである東京だった。
進級と同時の転校だったから、小学5年の夏休みは消滅せずに済んだ。
そんなふうに、私は住む場所を転々としてきた。
だから私に唯一無二のふるさとはない。

その代わり、ふるさとみたいなところが3つある。
大阪、静岡、そして東京。
住む場所を転々とするのは、簡単なことじゃなかった。人間関係を築いても、またすぐ環境が変わってお別れしてしまう。それはとてもむなしかった。
新しい環境で、自分だけが初めましての状態で友達を作っていくのは、多大なエネルギーが必要だった。

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3つめのふるさと、つまり東京に来た時は大変だった。
転校をきっかけに、弟が学校に行けなくなってしまった。
それで家族は揉め、家の中は不穏な時期が続いた。
家族はみんな口を揃えて言う。
「あの時が人生で一番大変だった」と。
母は言う。
「私がふるさとを恋しいと思ったからいけなかったんだ」
父は言う。
「転勤のせいで家族に辛い思いをさせてごめんな」
弟は今、どう思っているのだろうか。
直接そんなことをいきなり聞けないけど、一番辛かった東京を、恨んでいなかったらいいな。
第三のふるさとを、愛せていたらいいな。

大阪。静岡。東京。
ぜんぶ、違った。人も、景色も、近所で買えるものも、話す言葉も。
大阪にも静岡にも帰る場所はないけれど、昔住んでいた場所に行ったら、その景色が当時のいろんな思い出を運んできて、きっと甘酸っぱいような、ほろ苦いような気持ちになれると思う。
そんな場所が3つもあるって、贅沢だ。
だから、私は転勤族でよかった。
いつか、両親にそう言えたらいいな。
転勤を恨んだことはないこと。
転勤になったことを申し訳ないと思わなくていいということ。
転勤族のメリットをひとつだけ挙げるとすると、「家族の絆が強くなる」ことだと思う。
幼稚園のころの幼馴染がいない分、物心ついたときからずっと一緒にいるのは家族しかいないのである。家族だけは、別れることなくずっと一緒にいた。

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今年、はじめて4人揃って居酒屋で飲んだ。
家族4人、辛いこともあったけど、こうして笑顔で、この場所でお酒を飲めてるからいいよね。
私たち家族は、帰省するふるさとも持ち合わせていないけれど。
こうして4人でこの場所で、たまに一緒にお酒を飲めたら、それで十分すぎると、そんな幸福を感じた東京の夜だった。