20代最後に突入した2022年。何か一つを取り上げるのがためらわれるくらい、環境から心情、人間関係まで変化した一年だった。
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大人になってからは、変化は望まないと起こらないんだと、時に苦く思いながら過ごしてきた。徐々に跡に残らない程度の塩梅で、レールを外さないくらいの遊び心で生きるようになっていた。
でも、この一年に関しては、ガッツリ歯形が残るくらいの強度で噛まれ、今までのキャリアから大きく外れた道を歩いてきたと思える。良くも悪くも。
大学を卒業してから2回の転職を経験し、全く異なる業種を選んで生きてきた。何かの本で、プロフェショナルだと思えることを3つ作らないとこれからの世界に生き残れない、と書かれていたことが妙に印象に残ったからだった。
プロと言えるまで突き詰めるには、時間も労力もかかる。それでもその言葉にどこかで従っていたのは、同意をしていたから。副業が広く認められつつあり、収入に繋がる趣味を持つ人が多く登場し、AIが仕事を脅かす今、一つだけを突き詰めることの危うさを肌で感じていた。
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しかし、大学卒業後に私が選んだのは教員だった。教員の多くは定年退職まで専門的な知識と経験を積み重ねていく。子どもが好きで、自分が好きで勉強した知識を生かせることに文句はなかった。でも、どこかでアイデンティティを一つしか築けない、言葉に変えられない不安にそわそわしていた。
ある時、管理職の先生に来年度の打診をされた。教員2年目の23歳にして、高校3年生の担任を持たないかという提案だった。
そうか、先まで綺麗に見渡せるこの道を順調に歩いていけば、私は教員として申し分のないプロだと自認できるようになれる。誰になんと言われようとはっきり自信を持って言えるアイデンティティを手に入れられる。
そこで、遂に胸のそわそわが表面に出てきた。
「それでいいの?ちょっと自分に期待してみたら?」
4人兄弟の3番目の私は、いつも親の目が他の兄弟に注がれる瞬間を見定めてきた。その瞬間、冒険が始まる。誰も私を見ていない。今日はどんな新しいことをしよう。
そうやって育ってきた私は、学校や家では怒られないギリギリのラインを外れることなくそつなくこなし、一人になった瞬間に自由を謳歌するという人生を楽しんできた。
そんな私が、右からも左からも上からも下からも、どこから見ても真っ直ぐだと思う道を歩いていくことはできなかったのだ。
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来年度の打診をもらった数日後、退職の旨を伝えた。
それからはまた幼少期のように、一見仕事をしているふりをして、次の冒険の準備をしていた。
そして大冒険が始まったのだ。
仕事を辞めて大学院に通って、みんなが仕事をしている間に本を読む生活が始まった。
最低限の費用をまかなうために深夜のバイトをし、休みの日は行ったことのない街を本を持って歩き回った。
成長をしたのかと問われたら、難しい。
きっと幼少期の私とやっていることは変わらない。
でも、今回は明らかに道を外れたのだ。それは大きな変化と言えると思う。
そしてこの生活があと1年続く予定。
今私がはっきりプロだと言えることは2つ。残りの1つは現在修行している最中。
卒業式でガウンを着る頃には、その修行が身を結んでいることを願って、今日も修行を積んでいく。