「何県出身ですか?」と聞かれるといつも悩む。大体人生の半分ずつを、別の県で過ごしてきたからだ。
私は、幼稚園までと大学時代からは千葉県、小中高、浪人時代を愛知県で過ごした。
出身地、つまり生まれた場所で答えるなら生まれた県を答えるべきなのだろうが、千葉の周辺地理や学校や方言などの話になると、全く分からない。それもそのはず幼稚園までの記憶しかなく、受験もその土地でしたことがないのだから。
育った愛知県を出身地と答えれば都合が良いのかもしれないが、それにも違和感がある。理由は、育った県を好きにはなれなかったからだ。

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幼稚園を卒業し、小学校に上がる春休みのタイミングで、私は引っ越した。父の転勤が理由だった。しかし、友達と離れたくなかった私は泣き喚いて抵抗したことを、幼心に覚えている。ものすごく、ものすごく嫌だった。そんな気持ち、一時的なものですぐ忘れると思うかもしれないが、私の場合全くそんなことはなかった。
育った県は余所者に厳しく、後から聞いた話だが母も馴染むのに苦労したらしい。そんな雰囲気を感じ取ってか、私も小学生になって友達は出来たものの、ずっといるべき所にいないような感覚を覚えていた。慣れない方言、給食で出される知らない郷土料理、親子三代地元みたいな家族ばかり。幸いなことに、生まれた県の幼馴染がたびたび遊びに来てくれたが、その時も「早く帰りたい」と言っていた。

その他にも理由はある。育った県で暮らしていた時に良いことがなかったのだ。
学級崩壊、親友がいじめに遭い、伯母祖母が連日で亡くなる。そういう人生の怒涛の試練の時は、この土地にいた時に起こった。もちろん、それを乗り越えさせてくれた人たちとも出会った場所だったが、それを差し引いてもあまりあるほど、私にとっては手放しで第2の故郷とはあまり思えない。

もし他の人が人生の半分ずつをその土地で過ごしていたら、どう思うのだろう。
思春期を過ごした土地か、生まれた土地か、どちらをアイデンティティにするのだろう。
私の場合は、言わずもがな生まれた土地、千葉県の方が好きだし、アイデンティティでいけば、生まれた千葉県の人間だと言いたい。だから大学生になって単身戻ってきたのだ。
ちなみに今は父も再度転勤になり、愛知に帰る場所はない。

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しかし、今帰りたい「ふるさと」と言われると、生まれ育った土地でも、育った土地でもない気がする。小さい頃夏休みによく行っていた祖父母の家の方が、むしろしっくりくる。
年末年始、祖母が作ってくれたお雑煮、夏休みに食べたかき氷、みんなで食べたすき焼き、そういう懐かしい味も全部、祖父母の家と共にある。

もしかしたら、私にとって「ふるさと」は、そこにいた期間に関わらず、『家族を感じる場所』なのかもしれない。祖父母の家に行くと、普段あまり顔を合わせない親戚も集まり、孫として歓迎される。家族が集まる場所こそ、私にとってのふるさとなのではないかと思う。
自分の出身地、アイデンティティ、ふるさと。ここまで考えてみると、全部が一致していない人の方が多いのかもしれない。
たぶん、ふるさとは一つである必要はなく、今住んでいるこの場所も、いつか自分にとってふるさとになる可能性がある。人それぞれ、ふるさとの定義は違って、それで良いのだと思う。