「おれ(私)、生まれてから1度もこの町から出たことないねん」
こんなセリフを聞くと、私は肌がむずむずする。まるでビニール袋の中に首まで押し込められたみたいに、全身の毛穴が酸素を求めてあえぐのだ。
そんなの……いやだ。
生まれた場所から1歩も出ずに過ごすなんて。
もちろん人にはそれぞれ事情がある。わかっているけど、どうしてもそう思ってしまう。

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私は一昨年、就職のために神奈川から大阪に引っ越してきた。生まれてから26年で住んだ町は、これで7つめだ。
それまでに住んだのは、関東で4つと中米コスタリカで2つ。その内実家が動いたのは1度だけで、後は学生時代に寮に入ったり、留学してホームステイをしたり。今回の就職のための一人暮らしも含め、私一人が進路に合わせて住家を変えた。
両親も今の実家に落ち着くまでは国内外で引っ越しを繰り返してきたし、学生寮で一緒だった子たちはその時点で地元を離れているわけだから、人生の中であちこち移り住むのは当たり前だと思っていた。

見知らぬ土地に住むのは楽しい。初めて行く店、初めて乗るバス、初めて聞く方言。こちらが「面白いものを見つけてやるぞ!」というマインドになるからか、ありきたりなはずの風景や会話もみんな新鮮だ。
だから1つの場所しか知らないより、いろんな場所を知っている方が絶対にいい。そう信じていた。

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だけど、大阪に住むようになり、電車で1時間の奈良の法隆寺に行ったとき、気持が変わった。
「柱に抱きついてみてくださいね。飛鳥時代のものですよ」
住職さんに言われ、私はエンタシスの柱に腕を回した。乾いた木肌はざらざらとし、そしてほのかに温かかった。この柱を聖徳太子がさすりながら、「うん、美しい寺ができたもんだ」とか言っていたのかと思うと感慨深かった。
「それにしてもよく、1400年も持ったな……」
そう考えて、はっとした。

私が新しい土地に住みたいと思うのは、その土地に生まれてからずっと根を張って生きている人たちが作るものに惹かれるからなんだ。
法隆寺は1400年間、野ざらしで放置されてきたわけじゃない。住職さんや宮大工さんが、代々ずっと手入れをしてきた。屋根が痛んだら修復し、火事で焼けても再建した。私が今こうして柱にハグできるのはそのおかげだ。
法隆寺ほど大きくなくてもいい。私のようによそから来た人間にとっては、お店はスーパーより代々続く個人商店がいいし、バスや電車はローカル線がいいし、方言はこてこてが面白い。それらを支えているのは、もしかしたら単純化しすぎだと怒られるかもしれないけれど、「生まれてから1度もこの町から出たことないねん」と言っているような人たちじゃないのか。だとしたら、一所に根を張って生きるってすばらしいことだ。

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1カ所にずっと住むも良し、あちこちさすらうも良し。一度地元を出て、あちこちさすらった後でまた戻るのもきっとすてきだ。
結局、人にはそれぞれ自分の肌にあった生き方があるんだろうな。そんなありがちな結論が、けれど今は一番しっくり来ている。

一所に根を張って生きる人たちが、その土地ならではの魅力を作ってくれるのだとしたら、さすらい人の役割は何だろう。私の場合は、いろんな人と話したり、文章を書いたりすることが好きだから、もしかしたら「発信」かもしれない。
花から花へ飛び回っては蜜を集め、蜜のありかを八の字ダンスで仲間に知らせるハチみたいに、日本各地、世界各地の面白いもの、美しいものを、まだ行ったことのない人に知らせること。
そして、ハチが蜜を運ぶことが花にとっては子孫を残す助けになるように、私の発信するものが各地の人の助けになり、面白いもの、美しいものが1000年先までながらえたら。
今はそんな野望を抱いている。