3年前、とある公立中学校に1年間の期限付きで赴任し、男子バスケットボール部の顧問を任せてもらうことになった。私自身が中学時代にバスケ部に所属していたため、当初の予定だった卓球部の副顧問ではなく、急遽主顧問として担当することになったのだ。
しかし、今まで男子の部活を受け持った経験がなかったため、楽しみである反面、どのように彼らと関わっていけば良いのかと悩んだことをよく覚えている。

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時期はちょうどコロナ大流行の兆しが見えた2020年。前年度の3月から国の要請する大規模な学校閉鎖が起こり、赴任したその年も6月までは1〜2回の登校日を設けるだけの実質上の閉鎖が続いていた。
6月になり、ようやく登校できるようになったものの、部活動の規制は続いた。特にバスケのような身体接触が多い上に、競技中はマスクが着用できない種目は思うように練習ができなかった。特に夏休みまでの規制は甚だしく、2年間練習を重ねてきた3年生は、遂には引退をかけた大会の開催すら許されることなく、受験勉強に切り替えることとなった。
それでも、せっかく1年間任せてもらえるのだからと、代替わりした新2年生や1年生はギリギリのラインで練習を進めることにした。

当初、子どもたちも私とどのような関係を築けばいいのか迷っているようだった。
今年新しくやってきた先生でよく知らない上に、この学校のバスケ部はここ数年、前任者の意向で「自主性」を重んじていた。つまり、練習中に先生が体育館にやってくることはなかった歴史がある。
子どもたちが自由にメニューを決めて、やりたいメンバーが勝手に集まる。当然、ルールはない。そのせいか、公式戦で勝ったことは一度もなかった。
「この先生は、俺たちに何かを押し付けるんじゃないんだろうな」
そんな思春期の少年たちの無言の圧力をひしひしと感じた。

私自身の部活の思い出は、顧問、コーチ、先輩が偉い、上下関係の強い軍隊のような関係。練習もキツく、水を飲むことも許されない昔ながらのスタイルだった。
だが、それを再生産する気は毛頭もなかった。私への挨拶がなくてもいい(他校の先生には困るけど)。この子たちに何よりも必要なのは「バスケの楽しさ=勝つ経験」。
ルールも、「休む時には事前に部長に伝える(当初は顧問にも伝えるよう言ったが、全く機能しなかったので、私のストレス緩和のためにも変更した)」「道具・メンバー・支えてくれる人を大切にする」の2つだけ。最初から自主性を名目に自由に活動してきた集団に、何個もルールを設けることで何が起こるかは想像に容易い。
この1年、私にできることは、バスケの面白さを通して部活の意味を子どもたちに考えさせ、次の顧問にバトンタッチすることだった。

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夏休みも可能な限り活動を入れ、私自身も一緒にボールを持って身体をぶつけてプレーした。2学期になる頃には、私たちの間には、脆くも、それでもお互いを認識し合っている関係性が出来上がった。
一度、ゴール下の体接触が激しいポジションでディフェンス役をしていた際、とあるメンバーの膝がモロに私のふくらはぎに入ったことがある。内出血が激しくて、後日、青紫を通り越して黒くなった。
初冬に行われた初の公式試合の数日前、その痣をあえて彼らに見せた。一瞬「うわあ」と声が上がったが、私が「このぐらいぶつかってこられると、みんなが本気だと感じる。これでいいんだよ」と伝えると真剣な眼差しになった。確かに信頼関係ができたと実感した瞬間(そして私に痣を残した男の子は、「ごめんなさい」と消えそうな声で呟いていた。堪らなく可愛かった)。

つまり、私もそれなりに真剣に彼らと向き合ったと言える。
セット練習中によくメンバーを呼び寄せ、外側から一緒に今のチームの動きを観察した。そこで感想を尋ね、これから何ができそうか意見を聞いた。冬休み前には1人ずつと個人面談をし、個人とチームの達成できたこと、今後の目標を聞いた。そして次年度のチームのあり方を一緒に模索した。

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そして、やっと許可がおりた初の公式試合。コートでプレーする以外は常にマスクをすることが必須だったため、顧問の私は常にマスクを外さなかった。子どもたちをあれだけ鼓舞していたのに、当日になると私が緊張でどうにかなりそうだった。
彼らも初の公式戦だが、私も指揮を執ることは初めて。これはやばいと、会場に着くなり急いで化粧室へ。せめてもと、言葉尻を強めるために、マスクの下の唇に真っ赤なルージュを引いた。
そしてその日の試合勝利。今度は目から涙が流れる問題に直面した。子どもの前では泣きたくなかったため、次の試合からはマスカラを塗っていった。意地でも泣かないために。
結果、昨年度まで1勝もできなかった彼らは、地区で3位に入賞した。

残念ながら、その後の公式戦は私の赴任している期間では開催されなかった。
春休み中の部活動最後の日、終わりのミーティング後に2年生だけ残して私の異動を伝えた。
次の大会に全員で気持ち一つに向かうように、淡々と言葉短くそれだけ伝えた。
エースの子が間を置いてポツリ。
「お母さんには伝えてもいいですか」
お母さんって(笑)と内心思いながらも、愛しさからか、別れを意識したからか、喉の奥がグッと痛くなる。
「異動のことは本当は言っちゃダメなの。だからお母さんにもダメです」
口早に伝えた。
きっと、マスクの下に仕込んだ真っ赤なルージュが勇気を分けてくれたのだと思う。

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風の噂で、彼らが最後の公式戦で1個順位を繰り上げたと耳にした。
彼らは私が試合の度に、終わりのミーティングが雰囲気悪くなってしまった翌日の練習の時に、マスクの下の私の口元が鮮やかだったことを知らない。
彼らを校門まで送り出す頃には、喋りすぎたために、一緒に走った汗のために、色は落ちてしまっていたけれど。

練習後、マスクを取り替える時に、マスクに映った赤い唇跡にあなたたちの顔を思い浮かべていた私はきっと脆くて、そして輝いていたのだと思う。
それがあなたたちには死守した、私の素顔。