文章を書くことは、生き方を残すこと。
私にとって文章を書くことは、昔からずっと身近にある。

その発端は14歳の頃だった。
きっかけは極度の生きづらさ。
「こうあるべき」に苦しめられ、自分を表現することがなかなか出来なかった。
その痛みを和らげるひとつの手段として、私は書くことをはじめたのだと思う。

表現できるって最高だ。
誰にも邪魔されることなく、自由に思うままに表現できる。
窮屈な学校と家しか居場所がなかった14の私に、書くことはひとつの居場所をくれた。
教室に行けなくなって、でも家にいることも出来ず、保健室登校をはじめた。
保健室で文章を書き続けた。
今思えばよくあんなに書くことがあったなぁと思うけれど、当時の私も生きることに一生懸命だったのだと思う。
小さなわたし、本当によく頑張ったね。

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それから歳を重ねても「生きづらさ」はなかなか変わらなかった。
環境を変えても私は文章を書くことをやめなかった。
誰にも見せないノートには、きらきらとは程遠い「なんで?」と、学校や大人、社会への、疑問を書き連ねていた。
「どうして学校に行かないといけないの?」
「どうして勉強しないといけないの?」
「私を束ねないで」

勉強こそできたけれど、先生や親はみんなと同じことができない私を問題児扱いした。
同調圧力がきつかった。
14歳の少女はもう大人だ。
「子供だから」では片付けられないほどの繊細さと、ほのかに芽生えた「自我」を見失わない強さをも持ち合わせていた。
でも人の顔色で多くを感じ取る私は、「その場でふさわしい模範解答」をどことなく知っていた。

典型的な優等生であったからこそ、どういうことを言ってどういう行動をすれば先生や同級生から評価されるのかに、嫌でも気づいてしまっていた。
何かあれば「こうしたほうがいいんだろう」と自動的に思ってしまう。
でも自分の意思に反してまで行動するには厳しいものがある。
だからこそ、私は私であるために、今思っていることが溢れないように、忘れないように書き残していた。
普通の人が書く量の10倍くらい書いたんじゃないかな。

◎          ◎

そんなわけで学校のなかで文章を書く機会には、学年で表彰されることも多々あった。
また高校生の頃、担任の先生には「高校生が書ける文章ではない」と絶賛された。
いつしか書くことは、私の武器になっていた。
書く力で高学歴も手に入れ、ほんの少しの生きづらさも得ることができた。
好きな人にラブレターを書くときも、お世話になった人に手紙を綴るときも、書く力は私にギフトをくれた。
繊細に言葉にできることは、コミュニケーション力に劣らないしたたかな賢さがある。
うまく話せなくても、お手紙いっぱいに愛を綴るのはどうだろう。
私はそうして絶大な信頼を積み重ねることができたようにも思う。

そしてお仕事としても書けるようになった。
世の中に公開するのはほんのちょっとくすぐったいけれど、それでもその時生きた証が残るようで、喜びのほうが大きい。
死んだあとに、私の存在を知ってもらえる可能性だって秘めているのだから、夢大きいよね。

そんなこんなで、歳のわりに文章力が高いと評価してもらえるのは、それだけ私が書くことに時間を使ってきたからにすぎないと思う。
それでも想いを伝えられることは当たり前ではなく、生きる力になると思う。
そのときそのときにしか紡げない言葉で、生き方を残していきたいと思う。