中学時代、寒い冬がこの世で1番嫌いだった自分。好きな季節は秋。秋刀魚が大好物の私にとって、冬はタイムパフォーマンスで1.5倍速で過ごしたいくらい苦手。夏は冷房と水着が嫌いで、冬と並ぶくらいの個人的ワーストシーズンだ。

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私の通学していた中学校は地元でも評判の高い学校。所属する先生たちが良い先生揃いらしい。私も、担任以外はベテランの先生で個人的には信頼を置いていた。
私のクラスの担任はエゴイズムが若干強めで、生徒に求める理想に対しハードルが高いタイプ。数学担当のいわく付き物件だった。

入学して、冬になると開催される伝統行事について、道徳の授業で触れるようになる。冬なんか来なければいい、熊みたいに冬眠したい、ずっとそんな事ばかり考えていた。
例の伝統行事は、マラソン、剣道、柔道から選ぶ形式。殆どの生徒がマラソンで走る。普段の登校時間より3時間早く起きて、6時半には学校から程近い広い公園に集合していなければいけない。

平日の5日間を練習日としており、その間は体操着の上にジャージを着ることが許された。そう、何が恐ろしいかと言うと、練習日を経て本番を迎える長期戦なのが一番恐ろしかった。ヒートテックを着てカイロを貼って、手袋もしたのに、髪の毛がカピカピになるくらい極寒の寒さの中、意味不明な伝統行事のために身を差し出す……先生たちは皆『悪魔』にしか見えなかった。

泣いても笑っても、本番では順位が決まる。それも余計に嫌だった。2年目までは嫌な事づくしで死んでしまおうかとすら思ったくらいだ。死んでしまえば、楽になる。
本番での順位結果は三者面談で親の耳に入り、「来年は順位を上げろ」「TOP10は無理でも、普通なら50位以内は余裕なのに親の私が恥ずかしい!」と散々な事を言われた。1ミリも褒めてくれなかった。1年で1番寒い1週間、走り抜けたのに労いの言葉ももらえなかった。

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モチベーションは2年目の方が低かったと思う。伝統行事の後、手元がどうなっていることか。寒さで凍てついてまともに文字が書けなくなったことはあるのか!2年目は本当に憤りまみれになっていた。
心構えが変わったのはいつだったか。記憶は定かではないけれど、中学3年の時の伝統行事は楽しかったのを覚えている。
多分、中学校生活最後の年ということで心が燃え上がっていたのだろう。最後の年だけは練習期間から体操着だけで駆け抜けた。今思い出そうとしても、何で本気で楽しんでいたのか覚えてない。何故か自分でも引くくらい本気で走ることを楽しんでいた。

恐らく時期的には、学年主任の生活指導の先生が胃癌での休職から復帰なさると聞いて頑張れたのかもしれない。2月に入ってから復帰して顔を合わせる時に「この学校で良かった」と、どうしても伝えたかったのかもしれない。伝統行事を通してここまで大きく成長するとは想像もしていなかった。

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最後の年の伝統行事がついに終わった。淋しい気持ちと達成感で複雑な気分に見舞われる。
給食の時間にいつもと同じように、社会の先生が各クラスにお味噌汁の鍋を抱えてよそって回る。その光景を見ていられるのも残り僅かだった。

私のクラスに来て、一人一人に「お疲れ様」「頑張ったじゃん、見てたよ」等と声を掛けてくれる。私は目立たない存在だから、気にされていないと思いながら、他人事のように黙食に徹した。

しかし……「あ、そうだ!貴女、特に頑張ってたね!1年の時はさ、走るの苦手で元気なさそうで心配だったけど……練習日からジャージ着ないで走るとはね。驚いた」と喜んで勝手にわかめスープを注いできた。困惑しながらも少し嬉しかったのが本音である。

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寒かったあの日々。今でも思い出す色褪せない思い出。もし、私が途中から逃げ出して転校していたら、飛躍できなかったと思う。
社会の先生、生活指導の先生。本当にありがとうございました。寒かったあの日々、駆け抜けた瞬間とわかめスープの温もりは一生忘れません。