私にとっての文章を書くということは、私が知らない私のことを知るため、私が私のことを好きになるためである。
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私は毎日、日記を書いている。一日の自分を振り返って文字で表現する、今日の自分を文章にする。
日記を書くことは、一日の中で自分の楽しみの一つでもある。嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、悔しかったこと、面白かったことを文章にして残しておくようにしている。そうすることで、その一時一時しか味わえない思い出も、文章という形として、ずっと残すことが出来る。自分の頭の中、心の中にある大切な思い出や記憶を、可視化させることが出来る。
また私は、文章を書くようになってから、自分の性格をよく理解できるようになったと思う。日々の自分の変化に気づくようになった。今まで気づかなかった些細な変化にも目を向けられるようになった。
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人は、自分という存在が一番身近な存在でありながら、一番遠い存在であるように私は感じている。
だからこそ、人は限界まで無理をしようとする。我慢しようとする。他人を優先しようとする。時には自分を犠牲にしようとする。
私はHSPであると思っている。HSPとは、高度な感覚処理感受性を持った人のことであり、周囲の感情刺激を非常に敏感に自分に吸収してしまうため、自身の感情コントロールを困難に感じやすい特徴を持っている。
私は、常に周囲を必要以上に気にしすぎてしまったり、考え込み過ぎたり、気分が落ち込んだり、気分が上がったり、そんな自分を面倒だと思ったりすることもある。もっと楽に生きられたらいいのになぁ、と何度も思ったことがある。
しかし、自分自身が感じたことは、自分自身にとって本当のことである。だから私は、そんな自分の持っている感覚を文章にすることで、自分自身を信頼するようにしている。
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普段思っていることを全て口に出せるような人は、そう多くないだろう。私は人並みにそのような能力を持っていないため、本音を抑え込んでしまうことが多い。言葉を心の中にしまっておくことが多い。
だからこそ私は、後の自分に話を聞いてもらうために、今のありのままの自分を言葉にして、そして文章にして日記を書いている。
私にとって文章を書くことは、自分で自分の話を聞いてあげるという行為である。文字にして書くことは、自分の正直な気持ちや考えを認めていく行為の一つであると考える。
人の心の中は目に見えない。人の心の中は見えないからこそ、とても繊細に、そして大切に扱う必要があると思う。
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しかし、目に見えないからと言って、お互いに分かり合うことができない、違う者同士なんだからと決めつけてしまうのは違う。
私たち人間は、自分以外の対象に「伝える」力を持っている。伝える力を持っているのは、分かり合う、協調し合える可能性を持っているからなのではないだろうか。声、身振り手振り、目、表情、仕草、そして文字。自分の気持ちを表現することはとても素敵なことであり、伝えることができる能力を持った我々人間は、素晴らしい生き物であると感じる。
文章を書くことは、自分自身を見つめ直すことでもある。文章にして自分自身を表現することは、自分が一番自分らしくいられる空間となるだろう。内に秘めていたことが、外界へ湧き出た時、きっと形あるものとなって、極めて重要な意味を持つものとなるだろう。