朝、学校の自転車置き場で、下駄箱の前で、想いを寄せていた男の子と「おはよう」と言葉をかわせただけで舞い上がっていたあの頃。
授業中にこっそり彼の背中を盗み見て、切なさに胸が締めつけられていた日々。
高校1年生のわたしは、まだまだ純粋で、恋愛の酸いも甘いもなんにも知らなくて。

それゆえに、あの頃の叶わなかった片想いは、良くも悪くもすっかり大人になってしまったわたしの胸の中で清く淡い思い出としていつまでも残っていて、時折雪の結晶のようにキラキラと輝き始める。

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当時のわたしは、同じクラスの男の子――ここではY君としよう――に恋をしていた。
学級委員長のY君に少しでも近づきたくて副委員長に立候補してその座を勝ち取るくらい、わたしはY君にゾッコンで、真っすぐで健気だった(必死すぎて怖いような気がしなくもないけれど)。

まだ男の子と付き合ったこともなく、恋愛偏差値ほぼゼロだったにもかかわらず思い切りだけはよかったわたしは、えいやとY君に告白し、「気持ちは嬉しいけど、友達としてしか見たことがないから付き合えない、ごめん」とあっさり振られてしまった。

わたしの落ち込みようは尋常ではなく、勉強は手につかないし、そのせいで冬休みの宿題は溜まりまくるし、ひとたびY君のことを考え始めると止まらなくなって気がつけば何時間も経っていて1日を無駄にするし。
自分がこんなに恋愛に振り回される女だなんて知らなくて、そんな自分にげんなりしているどこか冷静なわたしもいた。

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Y君にあっさりと振られてから数週間が経ち、バレンタインの季節がやってきた。
諦めの悪いわたしはリベンジをするべく、Y君に渡すためのバレンタインチョコをせっせと作り始めた。勉強も手につかないくらい落ち込んでいたくせに、その行動力には我ながら恐れ入る。

バレンタイン当日は学校が休みだったので、わたしはY君にメールを送り、厚かましくもY君を彼の自宅の最寄駅まで呼び出した。
振った女がバレンタインデーに駅で待ち構えていると知ったときのY君の心情を慮る余裕など当時はなかったけれども、さぞうっとうしかったというか、怖ろしかったろうなと今になって申し訳なくなる。

「よっしゃリベンジや!」と意気込んでいたにもかかわらず、わたしは「あの、これ自己満で作りましたんで……よかったら食べてくだせぇ……」なんてしどろもどろになりながら、Y君に押しつけるようにチョコレートを渡した。やっぱり好きなんですとか、もう1度考えてみてほしいとか、そういうことを言いたかったはずなのに。
肝心なところで勇気が出せない自分にほとほと嫌気がさすわたしに、Y君は「ありがとう、食べるね」と爽やかな笑顔を向けた。

爽やかすぎるその笑顔は彼がわたしに1ミリも恋愛感情を抱いていないことをありありと物語っていて、わたしはようやく「あ、これほんまにアカンやつやな」と気がついた。その瞬間まで、わたしが告白したことでY君も揺れてくれているかも、なんて妄想を膨らませていたのである。なんておめでたい思考回路だったんだろう。

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あれから約10年。
わたしはY君とは別の、穏やかで優しくて、いつもわたしを支えてくれる大好きなひとと結婚し、彼との間に可愛い息子も産まれて、失恋に打ちひしがれていたあの頃のわたしには想像もできなかったような幸せな毎日を送っている。

それでも毎年バレンタインの季節になると、わたしはあの日のことを、呆れるほど純粋で真っ直ぐだった高校1年生の自分のことを思い出す。

今振り返ればあの片想いはありふれたもので、「いい思い出」で、笑い話ですらあるけれど、当時のわたしには死活問題で、人生のすべてで、成就しなかったことが身悶えするほど苦しかった。

だからこそ現在はじめての育児をする中で、息子がもたらしてくれる幸せな時間と、思うようにいかない焦りで泣きたくなる瞬間の落差に振り回される毎日も、いつかきっとありふれたいい思い出に、笑い話にきっとなる、寒かったあの日の失恋と同じように。

そう信じて、わたしは今日を乗り越える。